メモリー増設-その5-

Silver Weekの5連休中の一日、久々にPC Memory増設に挑戦。この半年余り、Memory 512MBの愛機Desk Top(NEC)およびNote(HP Compaq)がそろってとてつもなく遅くなっていた。この問題を何とか解決したいと思っていたのだが、原因はどうもMemory不足にあるのではないかな、と薄々勘付いてはいた。しかし、確信には至らず、手を拱いていたわけだ。半年以上もこんなことでいらいらしていたのは、機械オンチの悲しさである。

さて、どうしたらPCを遅くしている真犯人がMemoryにあるということがつきとめられるかだ。これには、Task Managerを使うと良い。Ctrl+Alt+DeleteでこのTask Manager画面に入る。その中にあるPerformance Tabを選択。そこで、KB表示の物理Memoryをみる。次に、MB表示のPF使用量を見てみる。これらをざっと比べてみて、物理Memory<PF使用量になっていたらMemory不足とみなしてよい。今回の事例では、512MB前後の物理Memoryに対して、PF使用量が常に700MB台になっていたので、明らかなMemory不足だったみたいだ。

ちなみに、Memory容量512MBと言えば、3年も遡るとそれなりの能力だったはずだ。これが全然使い物にならなくなっていた最大の理由はProviderと契約している常時接続SecurityなるVirus Softであったこともつきとめることができた。試しにこのSoftを無効にしておくと、200MB位上記Task ManagerのPF使用量が減って、512MB Memoryだけでかなり快適に作動するようになった。

早速、Memory増設作業に入らなければならないのだが、ここで慌てて規格違いのMemoryを買っては、お金を捨てるも同然の行為になる。また、Memoryの規格は合っていても不具合が生じる相性問題というのも考慮に入れておかなければならない。素人が一人で取り扱うには非常に厄介な商品であると考えて間違いない。こういう商品だからこそ、事前調査を慎重に行うことが必要になってくる。店の側でも、相当柔軟に返品を認めることが、真の顧客主義だと思うのだが、現実にはそうでもないらしい。 賢い消費者としてできることは、慎重に規格、店などを調査する自衛措置くらいしかないようである。

ありがたいことに、Memoryを生産している業者のHPにPCの製品名を入れて検索すると、使用可能なMemoryを教えてくれる検索画面が通常は設定されている。これらのIO Data、Buffalo、Green HouseなどのBrandの製品ならば、PC生産者の純正品とほぼ同じで、信頼して買っても大丈夫と言えるようだ。しかし、Netなどの通信販売で購入するのは、定価よりかなり安くなっているとは言え、万が一相性問題が出てきたとき、少し不安だ。だからと言って、事前に返品可能性を問い合わせるのも今一つ面倒くさい。

http://www.iodata.jp/pio/

http://buffalo.jp/products/catalog/memory/

http://www4.green-house.co.jp/searchmem/index.php

なお、適当なMemoryを調べていて、DDRやDDR2と称されるMemoryについては、Slotが2つある場合、256MB×2、512MB×2など、同じBrandの同じMBをそろえた方が好いという解説に2度くらいお目にかかったが、今回は1GBのMemoryをそれぞれ購入、Desk TopとNoteに単独で追加した。Desk Top本体を開けてみるとIO Dataの512MBのMemory一本が入っており、もう一つのSlotは空だったので、購入店のPB(店に拠ればBuffalo製品と変わりない)のMemory1GBをそのまま追加した格好。Noteでは、256MB(Sumsong製)×2の内の1本をGreen House社製の1GBと交換した。これで、どちらもBrandもMBも異なる2本のMemoryの組み合わせとなったが、1GB以上の数値はちゃんと認識されていて、それなりの高速で稼動している。

最後に、どこから買うのが比較的安くて、MemoryとPCの相性から生じる問題も最小限にすることができるかと言う点だ。いろいろ考え込んでNetを探っているうちに秋葉のGood Mediaと言うNet通販も店頭もやっている小振りなShopに辿り着いた。今回購入したGreen HouseのS.O.DIMM商品を最安値で販売していたShopでもある。

ただの安売屋では適切な助言などは期待しない方が良いだろうということでだめもとで行ってみたところ、若い店長らしき店員から実に様々かつ適切な助言をもらうことができた。曰く、増設MemoryのBrandであるGreen Houseの商品ならば、そのHPで公表されている適合商品である以上、まず相性問題は起こらず問題なく使えると考えてよいこと。また、Desk Topについては、製造者のNECおよびIO Dataが拡張は最大1GBまでとして、IOの拡張Memory一覧の中に1GBの商品を表示していなかったのに対して、Buffaloが最大2GBまで大丈夫として1GBの拡帳Memoryも一覧の中に加えていたのだが、Buffaloがこういう言い方をしているときには、絶対保証ではないがまず大丈夫ですとGood Media PBの1GB製品を推薦してくれたこと、など素人が決断を下すのに必要ないろいろな助言をもらうことができた。これが非常に助かった。何せ、当初はNote用に1GB×2を1万円弱位の予算で買い揃え、様子を見てみようと言う程度だったのが、8千円以下で2台のPCの問題が一気に解決してしまったのだから、幸運であり、Shopと店員に対する感謝の気持ちが滾々と湧いてきても当然なのである。

http://www.pc-goodmedia.jp/

| | コメント (3) | トラックバック (0)

お台場Gundamを見てきました

ほとんど義務感から、お台場、潮風公園まで行ってきました。平日にもかかわらず結構な人出でした。ゆりかもめはほぼ満員状態の盛況ぶりです。もちろん、ゆりかもめに乗る人の目的はGundamだけじゃないのですが。

総選挙の真っ只中ですが、夏休みの季節でもあります。Obama大統領でさえ例外ではありません。ならば、のんびりとGundam見物を楽しむのも粋なものです。ついでに運命の船、南極観測船「宗谷」も見て参りました。ぼろぼろになっても決して沈まなかった強運を分けてもらったつもりです。

総選挙に話を戻すと、前回の「郵政民営化」の5文字に続いて、今回は「政権交代」の4文字が醸しだす空気でまたもやこの国は動いて行くようです。せめて、前議員や元議員経験者の候補については、議員時代に賛成・反対した重要法案の一覧と解説くらいは、Netで簡単に見つけられるようにしてもらいたいものです。それにしても、与党は4年前の地滑り的大勝利の上に胡坐をかいて、結局何もしてこなかったという印象が強い。今の劣勢は自ら招いたものなのでしょう。

200908_013200908_016 200908_021

200908_024

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

今頃新劇場版Neo Genesis Evangelion「破」を見て参りました。TV版Evaをそれ程過大評価していない小生ですが、その小生にとってもやはりEvaは見ておかなければならない作品です。TV版からほとんど外れない内容に終始し、第五使徒RAMIELまでのお話だった「序」は、無難な出だしだったという印象でしたし。

しかし、「破」は、文字通り「破」でした。TV番からはすっかり離脱したと言う印象が強いです。冒頭、Eva仮設5号機と真希波・マリ・イラストリアスの第三使徒との戦闘は、マリを含めて新劇場版固有の設定。本作はTV版とは違うのだということを象徴する描写になっていました。

そして、お馴染みの第二のHeroinアスカの登場ですが、登場の設定も違えば、アスカの日系の苗字が「式波」に変更され、アスカの内向的だが欧米流の自立自尊、個人主義的志向の故に「我」の強さを前面に押し出す性格がより分かりやすく描写されているように思えました。

一番驚いたのは、綾波に次ぐEva Heroinのアスカが第九使徒に侵食されたEva3号機に搭乗、ダミーシステムに切り替えられたシンジの初号機の手で無残に破壊され、アスカもEntry Plugごと噛み砕かれ、死亡したのではないかに思われる場面です。かろうじて一命を取り留めたようなのですが、アスカびいきには衝撃的な設定。この戦闘は、当然シンジの心に深い傷を残し、本作最後の戦闘場面における、第十使徒に飲み込まれた綾波レイを絶対に救出するというシンジの熱い心の叫びと行動になって表れました。本作におけるHeroinの位置づけは、かなりのレイ重視、アスカ軽視を示唆しているのなのかなと思わせるところです。ちなみに、「序」の最後の場面も、第五使徒RAMIELを倒した後、倒れた零号機のEntry Plugをシンジがこじ開け、レイの生存を確認して涙する場面でした。

なお、なんでアスカが3号機に搭乗することになったのかという理由付けは、アメリカのNer第2支部で試験中のEva4号機が支部を巻き添えに消滅したことを受けて、同じくアメリカで開発されていたEva3号機が急遽日本に移送されたこと、それに伴い、バチカン条約で一国が保有するエヴァの数は3機までとなっていたことに基づき弐号機が凍結されることになったこと(これはTV版にはなかったような気がする)、3体のEvaの中で弐号機が凍結されたのは元々弐号機がNerv欧州支部に所属していたこと、などの様々な説明がなされていました。TV版と大きく異なり本作の肝になる設定と製作者も自覚して、不自然さが残らないよう二重三重に説得力のある状況設定を用意したのでしょう。

最後に、綾波を第十使徒の体内から助け出すことに成功したシンジではありましたがレイとともに初号機の中に取り込まれ、これから一体どうなるのか、「急」(Q?)における落としどころがおかしなことになると、また、変な作品になってしまうのではないかという懸念を抱かせる危ない終わり方だったともいえないこともない気がしました。杞憂に終わってくれることを願いたいです。個人的には庵野秀明とGainaxに対する信頼度はかなり低いので...

映像的な美しさでは、「序」を遙かに凌駕しており、特にNervに宇宙空間から落下してくる第八使徒を三体のEvaで受け止める作戦のために初号機、零号機、弐号機が全力で走る場面は、躍動感が画面に満ちて大満足でした。

なお、今回終幕のTextを見る限り、EurekaのBONESの協力はなかったようです。BONESは先に公開されたEureka劇場版の製作でそれどころではなかったのだろう。

http://www.evangelion.co.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主党に聞いてみたいこと

世間では都議会議員選挙が始まり、朝から選挙宣伝で騒々しい。

これから、盛夏になるのか初秋になるのか知れないが、総選挙まで日本列島は選挙一色に染まるのだろうか。今回の総選挙での政権交代は既に見えてきているので、都議選の結果が政局に影響を及ぼすと言うことではなくて、政権交代のうねりが各地方選挙などに及んでくると言うのが本当のところだろう。

民主党は、消費税増税を当面やらず、まず徹底した無駄な支出の削減と言うことを言っている。これは、昼間に便所の電気を消灯したり、コピー用紙の裏紙を使うと言うようなことではないだろう。本当に政府の無駄な支出を削ると言うことになれば、公務員の人数、つまり、人件費の削減に手を付けざるを得ない。サーヴィス産業で一番の経費は「人件費」、日本のような先進国で一番経費がかかっているのは「人」だからだ。

だとすると、徹底的な支出の削減の煽りを受けて解雇される公務員の受け皿はどこになるのだろう。判りやすいのは、道路公団を引き継いだ、高速道路を管理する会社だ。これは民営化したのだから公務員の話ではないが、相変わらず実態は公務員のようなものだ。民主党が政権を握ると、高速道路料金を無料にすると言う。これは決して荒唐無稽な話ではなくて、米国も英国も、独逸だって、高速道路はいくら走っても原則無料である。高速道路が無料ならば、まず、物流が今以上に増える。また、高速道路の入口と出口を増やせるから、高速道路の恩恵を受ける地域経済が飛躍的に増加する。実に筋の通った話なのだ。

しかし、道路の入口と出口で料金を管理している職員は99%必要なくなる。即解雇になる。ETCを買った人は残念でした。ETC Systemの開発・管理をしていた会社、販売に協力して様々な業務に携わっていた人たちも明日から仕事自体がなくなるのだ。

こういう民主党が政権をとったことによって即日無駄なサーヴィスとみなされる産業に従事していた公務員・準公務員および民間会社の従業員の受け皿は、果たして用意されているのか。おそらく用意されていないのだろう。

と言うことは、民主党政権では、普通にしていれば相当数の失業者が生まれてしまう可能性が高いと言うことだ。民間の産業を頼りにできるかといえば、民間産業を代表する財界は、元々民主党よりは自民党よりで、どれだけ民主党が財界との信頼関係を築けるか、大いに疑問である。放っておけば失業がどんどん増えるような状況下、民主党内の旧社民党系や労働組合出身者はどうやって対処していくつもりなのだろう。お得いの物乞いばら撒き政策か。連立を組みそうな国民新党の得意技、壮大公共事業と言う手もある。しかし、これでは無駄が増えるばかりで、公約違反になる。民主党政権の脆弱さが失業問題に集約されてきそうな気がしてならない。

麻生と鳩山というどうしょうもなく絶望的な選択の現実から逃避しているわけではないが、Anime “BLEACH”にはまっている。異界から現世にやって来た美少女に触発されて、超能力を目覚めさせる少年の成長と戦いの物語。どこかで見たような話(例えば“灼眼のシャナ”)だが、B級戦闘Animeと思ってみれば、思いのほか楽しめる作品。せめて、英語版を見て英語力の維持向上に努めている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

免許証更新

先週、運転免許証の更新に行ってきました。

昨年違反をしたため、Goldが鍍金Goldになっていたのですが、これで名実ともに非Gold免許です。違反記録があると、更新手続き場所が指定警察署などでは出来なくなり、試験場に行くことになります。手数料は4250円と少し高目なようです。その上有効期間は3年(これは少し短すぎないか?)に短縮され、踏んだり蹴ったりです。

試験場の受付時間は月曜日から金曜日が午前8:30~午後4:00、ただしこれはGoldの話で、違反の場合は午後2:00まで。日曜日は同じ時間だが、午前11:00~午後1:00までの昼休みは受付休止になるとのことです。

今回の更新で、面白かったのは、法律改正でこれまでの旧普通自動車運転免許が新設の「中型自動車運転免許」に変わったこと(新普通自動車運転免許は旧よりも限定的)。免許証に本籍地が表示されなくなったこと(表示させるためには、読み取り機において、暗証番号入力が必要)。免許証にこのような個人情報保護の芸当をさせるようになったためか、これまでよりも厚めの免許証になったみたいです。

なお、更新に行ったのは月曜日でした。朝早く出かけ、午前中で2時間の講習を含め無事終了しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

次期総選挙は難しい選択だな

昨秋から本格化した世界同時不況から抜け出せないまま、ぐずぐずと政局政治が続いているように見えるが、総選挙まで3箇月を切った。自民党の敗北と政権交代は、最早不可避と見る。関心は、負け方の質と量の方に移ったと言ってもいい。

結果が出た後になって、あれが世論を決定付けた出来事だったなと多分回想されるであろう事件は、西松建設と小沢一郎を巡る秘書逮捕から代表辞任までの一連の出来事などではなくて、本年2月5日の麻生首相の「元々郵政民営化に賛成ではなかった」発言だったのではないだろうか。こういうのを娑婆では「それを言ったらお仕舞ぇーよ」と言って、これで本当に終わってしまったのだと思う。件の首相がその後何を言おうとも、指導者として信用は臨界点まで失墜し、間違っても半年やそこいらの短期間で回復することはなかったと後々語られるのではなかろうか。

かといって、もう一つの選択肢である鳩山由紀夫代表は、問題の多い人物だと思う。「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」発言まで飛び出した、本年4月18日付け生出演動画を見てしまった。日本に税金を納めている在日外国人に地方参政権を付与せよ、と言う論旨の中で飛び出した発言だが、本当にどうかしているんじゃないかと思う。こんな考えを持った人物がこれから政権を奪取しようとしている最大野党の党首なのだから、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。欧州の多くの国が抱える問題の核心は移民政策の失敗に行き着き、移民の人工国家である米国で社会問題の相当部分が人種問題に起因することは明らかだ。その移民の国でさえ、参政権は米国籍を取得した者にしか認めず、大統領に立候補するための被選挙権は、米国の国土で生まれた者にしか認めていないはずだ。

http://www.youtube.com/watch?v=FrANepcSUUk

しかし、こういう物議をかもし出すような問題について、総選挙前に隠さず明らかにしてくれた鳩山さんは正直な人なのかもしれない。こんな政策を民主党が天下をとったところでいきなり短刀を抜くように抜かれたのではたまらない。同様の主張は、連立与党の一角もかねてからだったはずだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

手塚治虫展を見てきました

江戸東京博物館で開催中の手塚治虫展_未来へのメッセージ_に行ってきました。

手塚治虫は、1928年に大阪府豊中市生まれ、1989年に胃癌でこの世を去るまで、漫画家、Animatorとして多くの作品を世に送り出した先駆者です。

「のらくろ」の田河水泡など、戦前の大家らしき人は言うに及ばず、鳥獣戯画にまで遡れる日本漫画が、手塚から始まったというのは正しくない表現ですが、現在の漫画・Animeの隆盛の礎を築いたのは間違いなく、手塚治虫その人なのだ。Anime Fanの一人として、こう言う催しははずせないと言う思いでした。

展示は、やはり漫画の神様だけあって、手塚治虫本人の生涯が戦後の漫画・Anime史に通ずるといった感じでしょうか。漫画家として作品を発表し始め、上京した当時の手塚とトキワ荘の物語は有名で、当時トキワ荘を拠点とした、若手漫画家の石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫などがそれぞれ手塚の影響を受けて、手塚漫画の持っていた多様性のうち、科学SF漫画、ギャグ漫画などを昇華発展させ、それぞれの分野を確立していき、漫画界の中核を担う存在になっていったのでした。おそらく、手塚治虫の存在は、Rock and Roll音楽におけるBeatlesのようなもので、先駆者として、漫画の革新と多様性を提示し、その発展の可能性を次世代に示し続けた、と言うことなのでしょう。

当時の時代を映して、Disney Animeを見ている手塚は、当然のようにAnimationを手がけるようになるのですが、Anime製作会社として発足した虫プロは、日本で最初のTV Anime「鉄腕アトム」(1963年)、日本で最初の天然色TV Anime「ジャングル大帝」(1965年)と手塚Animeの黄金時代を飾る作品を生み出しています。これに先立って、東映動画の「西遊記」(1960年)、「ワンワン忠臣蔵」(1963年)などの諸作品にも手塚がかかわっていたことは、今回の展示で初めて知りました。

多くの場合、黄金時代を迎えたと言うことは、衰退期がすぐそこまで来ていることを暗示し、手塚のような他を寄せ付けないほどの天才は、しばしば組織を有機的に維持成長させることは苦手らしく、虫プロは1973年に倒産する。この報道は、当時漫画少年だった小生にもかすかな記憶が残っている。手塚の活動と作品は、この虫プロ倒産、手塚の年齢で考えると45歳前後で、前期と後期に二分すると整理しやすいような気がする。

虫プロの倒産による経済的な苦境と、当時、劇画の隆盛に乗り遅れたため、古い型の漫画家と見なされていた手塚は、この時期に後期の代表作となる「ブラック・ジャック」、「三つ目がとおる」などの新たな連載を開始、見事な復活を遂げる。やはり、この苦難の40代を経て、50代の活躍がなかったならば、さすがの天才漫画家も懐かしいだけの少年漫画の革新者で終わっていたのかもしれない。

手塚治虫の第一人者としての自負の強さと他の作者に対する敵愾心の旺盛さは良く知られるところのようで、トキワ荘系に属さない白土三平の「ガロ」に対抗して、「COM」を創刊し、「火の鳥」を掲載したこと、水木しげるの妖怪漫画など自分にでも描けることを証明するために「どろろ」を連載するなど、枚挙に暇がない。会場出口近くには、手塚と面識のあった人たちのコメントの一角が設けられ、その水木しげるが、漫画家の会合で、徹夜自慢をしていたのは、手塚と石ノ森章太郎の二人で、二人とも比較的早くに亡くなったのは、結局命を削って漫画を描いていたからなのだろう、というようなことが書かれていて印象的だった。

東映動画時代に手塚に会っているであろう宮崎駿もAnimatorとしての手塚には、スタッフに過酷な労働を強いるやり方や組織に対する意識の低さを理由に批判的だということをWikipediaで知った。会場で漫画の原画を懐かしく拝見した「Wonder Three」についても「少年マガジン」の連載を編集者側とのいざこざから中止してしまったWoder3事件と言うものがあったらしいことは、やはりWikipediaを読んで知ったことである。孤高の天才にもあの当時の漫画少年には見えなかった様々な苦悩があったようだ。

1989年2月、手塚治虫は胃癌でこの世を去り、ことしは生誕80年、亡くなってからでももう20年の歳月が流れている。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本に必要な公共事業

米国のCitibankは、9.11の前後までAA以上の格付けを誇るピカピカの優良銀行だったはずだが、先月の米国発の報道、政府による実質国有化措置には正直驚いた。とはいっても、昨年来のSub-Prime問題の本質、真の標的は、Citibankの救済にあると言われていたし、株価が1ドル台まで急落していることから、市場は大方織り込み済みだったと言うことなのだろう。取りあえずこれで、金融危機の本質部分にメスが入ることになると期待してよいのではないか(と昨年末、同行に巨額の救済資金が入った時もそう思ったのだが、今回はどうだろう)。

それにしても、Bubble崩壊まで絶頂期を謳歌し、AAAやAAの格付けを誇っていた本邦の都市銀行や長信銀の記憶もまだ鮮明な世代に属する者のせいか、こういう事例を見ると金融ビジネスのはかなさを思わざるを得ない。結局、多額の報酬を受取ってさっさと逃げるという結論に到るババ抜きゲームに参加することが英米流の金融ビジネスということなのか。「儲かればそれでいい主義」の信者がババ抜きに勝てるはずがない。

はかないと言えば、1万2千円の定額給付金だ。何でこんなにも馬鹿げた政策を何の工夫もないまま、断行する必要があるんだろう。そしてその付けは、将来に回すのか。

今我が国は時代に試されている。政府の金、即ち国民の血税を使うならば、3つだけだ。

第一に、公共事業を行うとしたら、地震対策を中心にした、災害対策の実行だ。地震対策のための工事などいくらでも施す余地がある。同時に、Soft面でも、消防訓練を始め、災害訓練により多くの住民を参加させるなどして、非常時に備える意識を高めていくことにだって、金は使えるし、こういうことには必ず人手が必要だから雇用機会も増やせると思うのだが。

第二に、教育だ。もう一度、日本には人と言う資源しかないことを思い出し、その意味を噛みしめるべきだ。教育は全ての世代に必要だが、特に未来を担う人たちの育成を全ての施策に優先して行ってゆくべきだ。「ゆとり教育」は公式に誤っていたことを認め、立案者や推進者は断罪されていい。基礎教育に掛かる費用に税金を回し、優秀な教育者をより多く雇うことに金をいくら使っても、文句をいう人は少ないだろう。

第三に、雇用がこの国から逃げていくことを回避しなければならない。日本には外資など導入しなくとも、優良企業はいくらでもある。自動車を始めあらゆる製造業が、ある程度の生産を国内で行えるよう、規制を強めるとともに、賃金の実質下げにまで踏み込んだ環境を整える努力をしなければ、日本は米国のような産業空洞化の先進国になってしまう。

大事なことは、政府も国民も、そして企業さえも、戦後延々と続いてきた「儲かれば何でもいい」主義を放棄することだ。経済力は依然として重要かもしれないが、これからはそれ以上に文化が大切な要素になると言う予感がする。文化力のない判断は、一時的に経済的成功を収めたとしても、はかないものに終わるのだろう。Citibankを始め多くの巨大金融機関がそうだったように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Ride Back-その2-

Ride Backは、琳がRide Backに乗ってからわずか半月の特訓で、選手権に出場する第3話までを見たが、良い作品の出来を維持していると思う。原作の漫画の方は、もう少し、左っぽい作品のようで、Anime版の導入部ではそのあたりが大幅に抑えられ、バレエを失って喪失感を抱いていた琳とRide Backとの出合いに焦点が絞られており、良くなっているとさえ思えた。

この間琳以外の登場人物の人柄も大分明らかになってきている。特に、武蔵野総合大学の文学部仏文学科3年片岡珠代。Ride Backの乗り手としては、琳の先輩格で、Fuegoによる琳の非凡な跳躍を見て、全くの初心者にすぎない琳にRide Back Raceの挑戦状をたたきつけてきた女傑。体格に恵まれ、男勝りの強気な性格の珠代は、昨年の選手権で愛機RBZを駆り、女の身で猛者どもを退けて優勝しており、二連覇のかかった今大会でも大活躍している。

それにしても、第2話の珠代と琳の一騎討ちは、珠代が飛び出してきた猫を避けて転倒し、決着付かずと言うことになっているが、あのまま続けていたら明らかに琳の勝ちでしょう。また、琳が一度コーナーを曲がり切れず、池に突っ込んだときは、皆心配しなさ過ぎで(まともに心配していたのは長年の親友しょう子だけ)、少し不自然。しかし、この猫を避けて自分が転倒してしまったところから見て、珠代が見かけとは裏腹に意外とやさしいのではないかと思わせる。実際面倒見の良い姉御肌の性格なようで、ぶっきらぼうながら琳のことを出来のよい妹のようにかわいがっているようにも見える。Ride Back乗りとしての琳の才能と内に秘めた「全てを切り裂く牙」を早い段階で見出したようで、それがいきなりの挑戦状の根拠であり、結果的に彼女の存在が琳のRide Back部入部の決定的な要因になる。Ride Back乗りとしては、文字通り男勝りのPower系の乗りこなしぶりで、今選手権で車体をぶつけてきたCobra兄弟に対して、喧嘩も辞さない徹底した強気のRideで史上初の選手権二連覇を達成している。

その選手権を授業もそっちのけで見ていたのが琳の弟の堅司だが、母親の定めたバレエ・ダンサーとしての道を素直に歩んでいた実姉とは違って、相当に不真面目な奴だが、この日、珠代を上回るラップを刻んで追い上げていた注目の新人が自分の姉であったことに気が付いていない。選手権の規定に適合せず、Fuegoではない別の市販Ride Backで選手権に臨んだ琳だったが、途中猛烈な追い上げを見せて注目を集めたものの、琳とRide Back Balonの相性がFuegoには遠く及ばず、エンジン・トラブルを起こして途中棄権。Ride Back部の顧問岡倉天司郎などは、普通の人間には扱いにくい癖のあるRide Back Fuegoとの不思議なまでの相性の良さを見せる琳が何か特別なものを持っていることに気付き始める。

さて、この女性主人公のRobot Animeだが、美少女とメカという組み合わせは、既に定番の一つではあるらしい。EurekaのNirvashもそうだったが、心のない機械であるRobotがあたかも心を持つ、あるいは心があるかのように振舞う設定には、「理」が勝る男性よりは「感性」重視で本質的に受身なところのある女性主人公の方がより不自然さがないと言うことなのかもしれない。

そう言えば、第1話冒頭で琳が踊っていたのは、Mussorgsky、「展覧会の絵」だった。Classic BalletとOpening Themeの音楽と映像。対照的で成功していると思う。よくよく考えるとやや不自然な展開も皆無とはいえないが、映像的に美しい(琳のかわいさも含めて)好作品と言う評価は変わっていない。

ところで、Animeを製作しているMad Houseの親会社Indexは、Soudi ArabiaでAnime製作者を養成するなど、中東に進出すると言う報道が流れていた。日本の将来は文化の創造にかかっている。日本食とAnimeがその先兵になるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Ride Back-その1-

お薦めの3大Robot Animeを問われたら、EurekaseveN、Fafner、Zegapainの3作を挙げてきたのだが、新年早々この一角を崩すかもしれない傑作の香りがするRobot Anime作品に回り逢えた。今年はついているのかな。新年放送開始の深夜Anime、Ride Back。製作会社はMad House。

尾形 琳。2020年代、GGPと言う集団が世界革命に成功し、国連解体などに揺れた世界が漸く落ち着きを取り戻した時代。天才バレエ・ダンサーを母に持ち、自身その母を目標に天才バレエ少女と謳われ、バレエ一筋に打ち込んできた琳だったが、公演中に事故で脚の靭帯断裂という大怪我を負う。故障を抱えた脚では、最早母親を目標に踊ることはかなわず、バレエを諦め、武蔵野総合大学に入学した琳。入学式が終わり、未だ満開の桜が怖いほどに美しい毎年めぐり来るその季節、琳は春雷を伴う通り雨を避けて立ち寄ったある部室で真紅の鉄馬に出遭う。それこそ、バレエを諦めて目標を失っていた彼女の胸の空洞を埋めることになるRide Back Fuego(Spain語で「炎」の意)だった。

Ride Back。乗用脚式2輪車両。要は、この時代に作られたBikeのような車輪を持った人型Robotと言ったところか。高速走行の時には正にBikeのようになって(Spread Legs Form)走る。Openingの画面では琳がスカートをなびかせてSLFのFuegoを駆る姿が印象的だ。どうも、革命を起こして世界をひっくり返した連中GGPは、このRide Backを最大限に利用したらしい。

偶然Fuegoに乗った琳は、初心者とは思えない操縦振りで胸を躍らせる。整備不良でFuegoが暴走する場面もあったが、最後はバレエジャンプ並みの見事な跳躍を決める琳とFuego。彼女の残り火のように燻っていた心に再び炎が灯る瞬間だった。

ここまでが第一話で、琳はRide Backに恋をするように惹かれていく。その気持ちが、琳の表情と満開の桜で実に良く描かれている。そのAnimeに惹かれるかどうかの最大の分かれ目は、主人公に感情移入ができるかどうかと言うことなのではないだろうか。この作品の良さは、琳の気持ちがその表情と台詞から直に心に響いてくるすばらしさで、Mad Houseの実力の一端を垣間見せてくれる。こう言う気持ちにさせられたのは、Eureka7を見たとき以来のことだ。そして、絵の構成では、細めの線と春を思わせる明るいパステルカラーの色使いが特徴的で、BONESの絵にも通じるところがある。どうも小生はパステルカラーと主人公の決死のジャンプとそれを引き金にする歓喜の表情に心を打たれるようだ。

それにしても、この手の真っ直ぐに前を見据えるタイプの主人公が「女」でしか描きづらくなっているのが最近の特徴なのだろうか。女が強くなったのは確かだが、深く掘り下げていくと女が強くなったと言う理由だけでは説明しきれない社会や意識の変化があるのかもしれないが、ここではこれ以上深入りしない。全体的な印象は、主題のしっかりした本格的な作品の感じがしたが、初回はFuegoを駆る琳のパンちらのサーヴィスもあって、十分以上に堪能できました。

第二話では、例の大ジャンプを目撃したRide Back部の部長片岡珠代が琳に目を付けることとなる。いきなりRide Backによる競走を申し入れる珠代に戸惑いながらも再びFuegoに乗ることを心待ちにする琳。Ride Back好きの弟堅司からの情報やNet情報でRide Backの予習をして臨んだ珠代とのRace。2回目の試乗とは思えぬ見事な操縦を披露し、途中まで珠代に付いていく琳だったが、本気を出した珠代に振り切られ、無理をしたコーナーで転倒し、池に突っ込む。この時、珠代は確信する、琳がその清楚な外見とは裏腹に「羊の仮面の下に全てを切り裂く牙を隠し持っていること」を。しかし、この段階では、さすがの珠代も初心者の琳では今日はここまでと思っていたのではないか。

しかし、琳は立ち上がり、それに応えるようにFuegoも池の中から立ち上がる。周回遅れで珠代を待ち受ける琳とFuego、珠代に再び挑みかかるために。この瞬間の琳の眼差しがぞくっとするほど格好良かった。第二話の最大の見せ場で、小生も含め並の男はこの場面で琳に惚れ込み、作品と恋に落ちる。

この作品は、主人公が元バレエダンサーの若い女性のため、戦闘場面なしで華麗なRobot Actionを見せることに成功している。今後、我等が琳は否応なく戦闘に巻き込まれていくのだろうが、物語の序盤のRobot Actionは、Ride Backの華麗なる走行と琳が試乗したためにバレエの踊りやジャンプをすることで見せていた。戦闘場面無しのRobot Actionでこれだけ見せ場を作れれば、お見事と言うほかない。

結局、Raceの方は、琳のややクレージーな突っ込みとバレエ技術を使った奇想天外なコーナーに動揺し、かつ、とび出してきた猫を避けようとして転倒した珠代が気を失い、決着は琳も急遽出場することになった選手権でと言うことになる。強気一辺倒の鉄の女珠代が猫をかばって転倒してしまうのは、意外な顛末だったが...。強引にRide Back部に引きずり込まれた形の琳だったが、しかし、心は躍っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

脳の話のつづき

茂木健一郎「脳を活かす仕事術」の中に「創造性」とは、側頭葉が作り出した「経験」と前頭葉が発信する「意欲」の掛け算よって生み出されるとある。つまり、歳をとっても意欲さえ失わなければ、創造性は保たれる、と言うよりむしろ向上する。

また、「Serendipityを呼び込む3つの条件」という下りがあり、偶然を幸運に結びつける脳の働きとして、1.行動する。2.気付く。気付くためには、自分の身の回りで起こっていること、自分が心の中で感じていることをよく観察する。3.受け入れる。意外なことに出会ったときにも、拒否せず素直に受け入れる。

また、国際情勢分析の北野幸伯氏のMail Magazine年頭号は、今年を迎えるにあたって次のように結論付ける。

アメリカ発経済危機の影響が、日本に洪水のように襲いかかってきます。しかし私たちは、

1.変えられないことに一喜一憂せず

2.自分が変えられることに集中し

3.自分の仕事をさらに極め

4.「日本を変える!」と志を高くもち

困難な年を笑いながら超えていきましょう。

年頭に当たって肝に銘じたい言葉だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新年のお慶びを申し上げます_2009年

新年のお慶びを申し上げます。

ここ数年、米国について、「双子の赤字が危険水域を優に超えていて、基軸通貨と断トツの軍事力でかろうじて踏みとどまっているに過ぎない。米国の失墜とドル暴落は何時起こってもおかしくない。」と指摘をする国際情勢分析はいくつか読んだ覚えがありました。今回の金融危機も米国の衰退という大きな流れの中で把握できるのでしょうが、秋口から傘を開く間もなく土砂降り状態となってしまったのには、狐につままれたような気分です。こういう時は、晴耕雨読の読書の時と受け取り、今年の課題はまず「読書」です。

政治も経済も「?」だらけのあっという間の1年でしたが、個人的には、企業年金関係のお手伝いの仕事が二年目に入り、その傍ら、5月には連合会と東京都の社労士会に勤務社労士としての登録を済ませました。7月の連休には、富士山に須走り口から登頂も試みました。好天に恵まれ、山小屋で見事な影富士を眺め、翌朝ご来光を拝むことも出来ました。12月には小規模な集まりでしたが企業年金セミナー講師を務め、良い経験になりました。景気後退で厳しい一年になりそうですが、こういう時こそ、企業にしても個人にしても他人の役に立てることを真面目に考えている本物だけが生き残れるのだと思います。

 二〇〇九年 元 旦

         20080720__015

| | コメント (0) | トラックバック (0)

社会保険庁についての一考察

厚生労働省の外局である「社会保険庁」が、いよいよ我が国の公的年金制度を崩壊させつつある。本省の方も、かつて病気をばら撒いておいて、なかなか責任を認めなかった前科があり、医師会の言いなりだったりこともある。あまり良い印象は残っていない。しかし、外局の方はここまでくると、ほとんどちんぴら級の屑役所だと言うことを天下に知らしめているかのようだ。そうでなくても、少子高齢化が進む中で、積立方式に改めようとせず、賦課方式に固執する我が国の年金制度は維持困難な状況にあるというのに、社会保険庁のようなところが取り扱っているとなれば、その崩壊は最早火を見るより明らかなことだ。

しかしながら、語弊があるかもしれないが、ここまで叩かれると社会保険庁の役人でなくても、いい加減やる気は失せるんだろう。今の社会保険庁は、長年のいい加減極まりない仕事の蓄積が災いして、真面目に仕事をすればするほど、新たな不具合が露顕する。真面目に仕事をすればするほど、褒められるどころかマスコミに叩かれる材料がこれでもかこれでもかと湧いて出てくるし、それらを材料に国民から罵られる。これでは、いくら組織としての自業自得とはいえ、普通の人間が堪えられるような状況ではあるまい。

この手の後ろむきの仕事で、しっかり責任を果たせるような人材が豊富だったならば、最初から今回のような不祥事は起きていない。まともな頭を持っている指導者ならば、5分も考えただけで、一連の年金問題は社会保険庁の役人には解決できないと分かるはずだ。

残念ながら、最近表面に現れて、国民の耳目を集めるところとなった役所や役人の不祥事は、かなりの部分、同じような文脈で説明できる。この十余年に亘って、お上に弱かったはずの国民性が、俄かに公務員批判を公然と行うようになった。鶏が先か卵が先かの違いはあるが、とにかく、公務員は不正や怠業を繰り返し、国民は公務員の保障された地位を妬んでか、公務員批判を繰り返した。特に小泉政権の5年間は、役人にとっては苦渋の時代だったことだろう。もともと、がんばっても、がんばらなくても、民間のような差が出にくい職場である。やる気をなくして、益々不正や怠業が目立つようになるのも分からないではない。不幸なのは国民で、真実は正義感からか嫉妬心からかは別にして、公務員に唾すると、その唾は数倍返しで、自らに降りかかってくると言うのが今の状況なのだろう。

それでは、我が国は、社会保険庁の職員たちに代表されるような公務員に骨の髄まで寄生されて、弱体化し、衰退していく運命なのだろうか。半分は当たっていて、半分ははずれなのだろうと思う。民間部門は、やはり、役所よりはずっと健全なのだ。例えば、近い将来と認識されつつある「原油の高騰と枯渇」、人口減少による国内市場の急速な縮小、そして、米国の景気急減速など、明らかな逆風が吹き荒れる自動車業界。遠い将来と考えられてきた石油非依存型自動車への転換なども既に射程距離に入った感があるが、そうなったときに、我が国のT社やH社が現在の地位を維持できるのか、おそらくはそうなるものと信じて良いのではないか。確かに、ガソリンエンジンの技術と電池自動車の技術は全く異なるものなのかもしれない。しかし、何万点の部品を有機的に結びつけて、高い走行性を持った自動車を作り上げる技術は、一朝一夕に追いつかれ、追い越されるような類のものではあるまい。

真面目に勤勉に働き、技術を蓄積してきた我が国の民間部門の力を信じたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

星野が北京で勝てなかった

北京五輪は多分ほとんどの種目で惨敗だろうと思っていたが、北島の平泳ぎ100M、200Mの二連覇で流れが変わった。少なくとも変わったかに見えた。総括すると、北京五輪の日本代表は、予想通りか予想外かは別にして、健闘した種目と期待を裏切った選手の二極分化が、鮮烈に現れた大会だった。全体としては隣国で行われた五輪であるにもかかわらず、強化不足が原因の低調な成績だったと言えるのではないか。

二極分化の典型が、女子Softballと野球である。結果は天国と地獄ほどの差になって現れた。星野は大きく評判を下げたと思う。もう、2度と代表監督を任されることはないだろう。敗因は、人選やら投手起用やらいろいろあると思うが、一番のそれは、この代表たちが何のために戦うのかと言う明確な目的付けができていなかった点ではないかと疑っている。

「金メダルを取るため」と言うのは、「勝つため」と言っているのと同じで、「じゃー、何で金メダルを取りたいの」と言う更なる質問に答えられない、実に不完全で曖昧な目的なのだったことを今更ながらに思う。

普通の国の選手ならば、貧しい国の貧しい階層出身の選手などは、「大金を得るため」と明確で具体的な目標が持てるだろうし、もう少し気の効いた国の選手ならば、「国家の栄光と名誉のため」と言う目標を明確に持てるかもしれない。しかし、日本の野球選手ようなあまりに恵まれた人たちが持つべき目標がもしあるとするならば、それは、「野球による勝利によって、日本人の能力の高さの証明し、日本人にそのことを自覚することによって生じる自信および将来に対する希望をもたらすこと」であるべきだった。一言で言えば 、「祖国と同胞に対する貢献」と言うことであるべきだった。

スポーツの影響力は下手な公共投資などよりずっと大きいようにも見える。日本代表は、高次元の目標設定を自覚することもなく、目標も設定しないまま、ずるずると試合を続け、せっかくの野球に国民の目を再び向けさせる最大の機会の一つをみすみす失ってしまった。「一見良さそうに見えて、実は最悪」、これが星野仙一の実像だったのだとすると、この景色は去年辞任した首相のそれによく似ている。

それから、最近の選手がよく使う言葉で「楽しんで」と言う語句だが、これは、「確かに結果が全てだが、結果に囚われすぎず、経過を楽しんで行く、だって結果を得るためには経過があるのが人生じゃん」と言う意味なのであって、そうは言ってもスポーツの世界では、「結果が全て」と言うことが絶対の真理なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

竹島は島根県の一部です

全くの偶然だったが、昨日の記事は絶妙の間合いと言うべきか。

しかし、他国の教育内容にまで干渉してくる韓国と言う国は非常識極まりないし、そんなことを一大事のように取り上げてまともに反論も糾弾もしない国は、最早主権国家とは呼べない。

ちょっと考えてみれば明らかなことだ。つまり、我が国は竹島のことを我が国固有の領土だと主張しており、彼の国は、いや違う、竹島は韓国の領土だと言って、勝手に占拠しているのだ。だから、今回彼の国が行ったことが仮に正しいことだと韓国当局が信じているならば、我が国の方でも、国会で「韓国は『我が固有の領土竹島』を国際法違反を犯して不法占拠している、直ちに立ち退き、島根県に明け渡すべきだと言う決議をして、更に、韓国の義務教育における竹島があたかも韓国の領土であるかの記載や地理の授業で使う地図帳は誤りなので直ちに日本領である旨書き直すべし。」と決議したら良いではないか。

彼の国はなんら文句を言うことは出来ないはずだ。もし、自国の行ったことを棚に上げて抗議してくるとしたら、その意味するところは、韓国は全てにおいて正しく、日本は全てにおいて誤っていると言う前提がなければ成り立たない理屈で、そのようなことは太陽が西から昇ってもまかり通らない理屈なのは明白ではないか。

そんな当たり前の主張をなぜしないのか???

確かに人間の生き方において、意識的に他人様ひいては社会に対して、「与えること、貢献すること」を第一に考える生き方は正しい生き方だ。しかし、そういう積極的な生き方ではなく、消極的に、無自覚に、事なかれで、只奪われる生き方は、「与えること、貢献すること」とは全くの対極に位置するもので、人間の生き方としては最低の部類に属するのだと言うことを強く意識すべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

洞爺湖Summitの不思議

福田康夫と言う信頼度の極めて低い政治家が議長を務める洞爺湖Summitには何の期待も抱いてはいないし、関心も低かった。その1日目、実に不思議なことに気が付いた。

それは、先進主要国の他に、アフリカ諸国の代表が参加していることだ。報道によれば、アフリカから亜細亜極東の地にはるばるやって来たのは;

▽南アフリカ・ムベキ大統領▽アルジェリア・ブーテフリカ大統領▽セネガル・ワッド大統領▽ガーナ・クフォー大統領▽タンザニア・キクウェテ大統領▽ナイジェリア・ヤラドゥア大統領▽エチオピア・メレス首相▽アフリカ連合委員会・ピン委員長

(毎日新聞 2008年7月7日 東京夕刊)

確かに、アフリカと言う地域は、食うや食わずの文字通り死活問題が、慢性的にその大陸のどこかで起きていると言う印象だけは、おぼろげにある。しかし、正確な事実は全然伝わってこない。ここ数年、欧米の報道機関が注目し、報道を続けてきたのに比べ、我が国の報道期間の全然取り上げてこなかったSudanという国がある。日本人一般は、この国が一体アフリカのどこに位置しているのかさえ知らない。ここ数ヶ月、総選挙に絡んでZimbabweという国でどんなひどいことが起こったのか、日本にはほとんど伝えられていない。情報がないから、一般に関心が低いのはごく自然なことだ。

そう言う地域の代表が、洞爺湖に大挙して現れるのは、唐突としか思えなかった。日本国民の大多数が、何の関心もなく、ましてや国益のかけらも感じていない地域のことを、わざわざ日本で開かれるSummitで話しあって、一体どういう成果を上げようと言うのか、その目的が思い至らない。アフリカ諸国に援助と言う餌をばら撒いて、仮にその見返りに支持を得て国連の常任理事国になったとして(そんなことは絶対に起こりえないが)、金で買った地位が未来永劫役に立つものでないのは個人も国際社会における国も同じようなものだろう。

とにかく何も肝心なことを報道しない我が国の報道機関は、国際関係では次の問題を特集する企画を練るべきだ。

1.南京大虐殺として知られるようになった事件で実際に起きたこと。いつ、誰が、どのように起こしたのか。なぜ起きたのか。はたして中国側の主張に誤りがないのか。

2.無条件降伏を承諾した我が国に対して、露西亜軍が行ったこと、事実を時間軸と共に正確に伝える。露西亜軍が我が国民間人に行ったことを正確に伝え、伝承する。北方4島の占拠が国際法上なぜ違法で我が国は何を根拠に返還を要求しているのか正確に伝える。

3.竹島の領有に関する歴史的な経緯。我が国が領有を主張する根拠。同島が奪われた場合の海域も含めた損失。実効支配の現状。実効支配を奪われた責任は誰にあるのか。

4.尖閣列島の領有に関する歴史的な経緯。我が国が領有を主張する根拠。同島が奪われた場合の海域も含めた損失。実効支配の現状。

何も肝心なことを教えていないのは、義務教育も同じようなもので、歴史教育は第一章で現代史をやってから、縄文時代に入るべきで、こんなことも知らずに土器のことを覚えて何になるのだ。しかも、天皇制が絡むからと神話もろくに読まない古代史の教育に一体どういう意味があると言うのか意味不明。天皇制に賛成だろうが反対だろうが、古事記も日本書紀も読まなかったら、それは単なる無学者と言う者だ。右も左も、いい加減に「依らしむべし、知らしむべからず」はやめたらどうなんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

衰退ということについて

Bike用品を買いに、久方ぶりに上野のBike街に出向く。目当ての店「光輪」の建物がなにやら様子がおかしいので、買い物をした近所のBike Shopで何気なく尋ねたところ、光輪は先の4月に突然倒産したとのことだった。上野のBike街も郊外店に圧されているのか、Bike自体の人気の低下によるのか、ここ10余年の衰退は目を蔽わんばかりだ。

衰退と言えば、我が大和民族は、人間として、生物として、着実に衰退し続けて来たのかもしれない。それがここ数年のことなのか、数十年のことなのかは定かではないが、ここ数年はそれが目に見えて顕著に感じられるようになった気がしてならない。

例えば、街や駅中など比較的人の多いところを歩いていると、他人(ひと)が確実に避(よ)けずにぶつかってくる。それも何人もだ。これだけ大勢の人間が、他人とぶつかりそうになったら避(よ)ける、譲り合うと言う生きていく上での基本ができない社会は、案外珍しいのではないだろうか。そして、ぶつかってくる人たちのかなりの者は、実際避けられないのだと思う。つまり、他人の接近を認識しても、ぶつかるのを避けるための身体動作を即座に起こすことができないか、身体操作はできるけれども、忙しく動いている中で、そう言う動作に思い至る心の余裕や他人に対する思いやりに欠けているのうちのどちらかだろうと思えてならない。

東京のような大都市だけの現象ならば救いはあると思うのだが、それにしても、東京に住む日本人の内の多数派が生物として生きていくのに最低限度必要な身体捌きさえできない、人間としての最低限の他人に対する思いやりも忘れた、文字通り滅び行く民になったかに見える。

こんな民族ならば、将来を担う社会の宝であるはずの子供たちに援助交際と称した売春をやらせてもへいちゃらなんだろうし、若い世代の将来を平気で食いつぶす甘えた不良老人が言いたい放題だったりしても何の不思議はない。

民族の生命力が明らかに目に見えるほどに弱っている以上、大相撲が外国人に席巻されたり、北京五輪で惨敗することなど、表面に現れる現象をいくら嘆いて、彌縫策を施しても無駄というものだ。

痛かったのは、先の大戦を回避できなかったばかりか、この戦に惨敗し、戦勝国によって文化を根こそぎ痛めつけられたことなんだろう。米国黒人の例を挙げるまでもなく、文化を失った民族の未来は数世代どころか、永久に来ないものだ。

日本人の場合、いきなり文化を引き剥がされて奴隷にされた黒人とは違い、万力で締め上げられるように時間をかけてじりじりと伝統と文化を見失うように誘導され、自らも狂った教育や報道に乗せられてそれに加担する者多数、いつの間にか奴隷と相違わぬ身分に転落したようなものだ。

いくら長期投資と言い、逆張り投資と言っても、腐臭の立ち込める衰退国家の株は個別具体的に相当吟味をしないと、なかなか買えたものではないな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

R証券の両国国技館セミナー

雨の中、R証券が開催した9周年両国国技館セミナーに行ってきました。雨脚も決して弱くない中、無料とは言え訪れる人の多さに驚いた。

まずは、午前中の澤上篤人氏の講演があった。我が国では最も有名な長期投資家である同氏は、暴落相場となった今こそ絶好の買い場なのだと力説した。調子の良い関西弁の講演で、澤上氏の普段の印象とはやや違ったが、好かった。

1.株式市場が暴落する時は、経済の後退期や停滞期でもある。こう言う時期には優れた会社だけが生き残る。だから、暴落時に良い会社を選別して安く仕込んでおければ、長期的には必ず儲かる。なぜなら、生き残った会社は、収益性、財務面などで、すごい会社になっており、そう言う会社が相対的に多い市場に買いが入った時、相場の上昇は凄まじくなるはずだ。70年代の長期低迷期を脱した90年代の米国市場など。

2.この暴落相場の要因の一つは、年金資金の増加と短期運用的傾向にある。本来長期投資家でなければならない年金資金が、短期の時間軸で物事を判断するようになって、結局短期資金化した。ここに機関投資家の限界を露呈し、相場下落の要因になっている。

3.今一つはっきりしていることは、世界の人口が急速に増え続けているということ、先進国並みの豊かな生活を享受している人々の人口も増え続けると言うことだ。世界の人口は現状67億人(内先進国17億人)が2050年には91億人(内先進国30億人)まで増加することになると見られている。このことと、金ドル交換停止以来30年以上に亘って発展を遂げた金融経済が一先ず終焉を迎え、物中心の経済に戻りつつあるのが現在の状況である。

4.そのような流れを把握して、今後足りなくなるであろう、Energy、原材料、そして食糧・水などで世界に貢献することができる企業を正しく探し出すことさえできればよい。

5.長期で投資するつもりで買った銘柄が、上昇したら次の暴落で買うための資金調達と言う意味合いでリズム良く少し売る。間違ってもこの資金で更に上昇中の時に卑しく買ってはいけない。

6.相場は勝負を決める場所である。勝負は、所詮「気合、執念、夢」と言った要素こそが決定的に重要で、分散投資とか米国経済がどうしたこうしたに囚われてはいけない。

7.Returnとは戻ってくると言うこと。

8.企業分析を行う時、自分が当該開始のCEOになったとして、手中にある経営資源で何ができるか、仮説を立てて、考えてみる。

森永さんの講演では、日本経済失速の要因は去年から今年にかけていくつかの要因が複合的に重なっているのである、と言う指摘があった。

第1点は、昨年の利上げから始まった一連の紙幣供給の引き締めである。第2点目は、原油の急騰である。原油の生産費用はたったの3ドルなんだそうだ。それが去年の今頃は50ドル、それでも高いのに今や140ドル、これをBubbleと言わずして何と呼ぶ。第3点がSub-Primary Loanの問題であるが、昨今の不良債権の残高の伸び率減少などから、峠は越えたと見ていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

少子化についての一考察

男女平等社会が理想視され、日本人の女性が強くなって行くのと反比例して、ウルウルしたような瞳の優しげな大和撫子がどんどん少数派になって行く、ような気がする。日本人女性は、世界標準からするとまだまだ優しい。が、ここでも世界標準に追いつき、普通の国になるのに大した時間をもはや要さないであろう。

日本人女性は、伝統的には優しくて、中でも目端の利くのは男を立てることで男性をうまく操縦し、財布の紐も握って、それなりに実権を掌握してきた。それでも、女は男のように前線で鎬を削ると言うことが少なかったから、ウルウルした優しい瞳を保つことができた。少なくとも私の世代の同級生たち、かつて女の子であったおばさんたちは、そう言う瞳が多数派を形成していた。

しかし、女にも男と同じことをするように要求する男女平等社会では、女も男と同じようにずるく、俊敏に考え行動することが要求される。そのためか、今時ウルウルとした瞳でいられるのは、少々頭が足りないか、要領の悪い娘たち...だけなのではないかとさえ思えるほど、状況は好くはない。もちろん中には、少数の例外はいる。しかし、彼女らはあくまでも例外なのだ。

本来的に戦う性である男達と同等に俊敏に考え行動することが女にも求められる社会で、女が子供を産みにくくなるのは、ごく自然なことではなかろうか。1990年代丁度中ごろのAnime “新世紀-Evangelion-”を見てみると、Evangelionの操縦者である碇シンジ、綾波レイ、惣流アスカの3人中2人が女性で、操縦者としての3人の立場や役割は全く対等である。Evaから推測するに、男女平等社会の概念は、我が国では1990年代位から急速に広がり、そして、おそらくこの破壊的な少子化の進行に何らかの係わりがあったように思える。

男女平等社会の概念と少子化の因果関係を立証するDataを俄かに探し出すことは困極まりないことだが、大衆は2000年代も中頃になると何となくではあっても、薄々そのことに気付き始めているかのようだ。真の男女平等は、その果たす役割の違いや特性を十分認識した上で、互いを思いやり、互いを生かすために役立つ概念でなければならない。2006年から2007年にかけてSunriseによって製作された“Zegapain”では、ZegapainはGunnerとWizardの二人乗りで、前方でZegapainの走行と直接的な武器による戦闘を行うのが男性の役割であり、後部座席でZegaのありとあらゆる制御面を担当するのが女性である。

更に、Zegaでは、Heroin守凪了子が、自分たちが暮らしていると信じていた世界は実は舞浜Server内の仮想空間で本当の世界がServerの外にあること知った時、連れ出した主人公に「(スクーター)私が運転してもいいよ。でも、私はやっぱり後がいいなあ。」とのたまう場面まである。敢えて後部座席が良いと主張した了子は、その後Wizardとして紆余曲折を経た末、主人公の子を身籠ったと思しき姿で最終回が終了する。Zegaの物語りの主題からはやや外れていることを承知で言わせてもらえば、今後の男女差別問題の今後の趨勢予言する、結構意味深な終わり方だったと言うのは、単なるこじつけか。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

三社祭が終わりました

お天気にも恵まれ、今年の浅草三社祭は無事終了した。

今年の特徴は、一之宮、二之宮、三之宮の本神輿が町内を練り歩かなかったことに尽きる。神輿に乗って気勢を上げることを男意気と勘違いしている人たちのことは、毎年問題になっていた。例年はその手合いに罰金を科すことで折り合いをつけていたようだが、今年は遂に神社側が神輿が傷むことを理由に、町内練り歩きを拒絶してしまった。

そのため、日曜日の神輿も本神輿ではなく、町内神輿によるややさえないものになってしまった。祭りの真骨頂がそういう状態になると、祭り自体の雰囲気もやや低調で荒れ気味となり、酔っ払いが例年より多かったと言う感想を言う者もいた。まあ、酔っ払いが多いのは例年のことだと思うのだが。

祭りは、日常「褻」の時には地下にいる者達が表に出る「晴」の舞台でもある。これを規制するのは、考えると意外に難しいことにも思える。「新宿鮫」の鮫島警部ならば、法を犯し市民生活を脅かす者たちを容赦しない、「俺を(新宿鮫と)そう呼ぶ奴が新宿からいなくなるのが、俺の望みだ」と言う。しかし、その恋人でロック歌手の晶は、「でもそうなったら、新宿ってつまらない街になる。誰も遊びに来ない。」と返す。

たまたま何度目かの読みかけ中の司馬遼太郎「項羽と劉邦」でも劉邦の事務方を支え続けた蕭何や曹参のところで、曹参が斉の丞相の職を後任に譲るときに「斉の獄市を貴官にお渡しします。」、「獄と市だけが、政治の要です。」と言った。

曹参によれば、世の中には必ず姦人という者がいる。そういう姦人達は、司法の対象になるか、市場管理の対象になるかのどちらかだが、この獄と市をあまりにやかましく正しすぎると、姦人は世に容れられなくなり、必ず乱を起こし、国家そのものを毀損する素になる、と言っている。

おそらく、米国のような人工的な国家においては、法家的な獄と市をやかましく正しすぎる方法しか国家を維持していく方法は有り得ないのかもしれない。しかし、近年英国や日本のような自然に成立した国においても法家主義的傾向は強まることはあっても弱まることなど無いように思える。果たしてそのこと自体好いことなのかどうか、進歩といえるのか、鮫島流に結論がすっきり出ない今日この頃である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

灼眼のシャナ-その3-

灼眼のシャナが主人公の成長を描く典型的な“A boy meets a girl.”の物語であることは、しつこいくらいに書いてきた。第1季でシャナ対紅世の徒(ぐぜのともがら)、愛染自ソラトおよび愛染他ティリエル兄妹との死闘は、好きな挿話の一つでもある。

この時期、接吻の意味についてアラストールたちから習ったことと接吻から人が想起することがどうも異なることに気付き、悩んでいたシャナだった。そこに現れた変態の愛染兄妹は、平気で他人前で接吻を繰り返し、愛を交感してシャナを戸惑わせる。

戦闘の以前に、悠二の母親から接吻は相手を信頼し、自分の全てに近付けてもいい、自分の全てを任せてもいいと言う誓いであり、簡単に許してはいけないと教えられていたシャナは、「お前たちは違う。私にはただすがりあっているようにしか見えない。(悠二と私は、)共に在ってすがらず、互いを強く感じ力に変える。」とこの挿話中の決め台詞ともいえる言葉を発している。理想的な男女関係を語った一節。この後、当初劣勢に立たされていたシャナが、悠二とMarjoryの愛染兄妹が操る自在法を破る側面攻撃の効果もあって、形勢を逆転。徒(ともがら)二人を彼等が狙っていた大太刀贄殿遮那によって返り討ちにして葬り去る。

この少し前にシャナとの二回目の戦闘に完敗し、すっかりやる気をなくしていたMarjoryは、この戦いで初めてシャナと共闘する中、徒の攻撃から子分である佐藤や田中を守ることに新たな戦いの意味を見出し復活。愛染兄妹の護衛で御崎市にやって来ていた紅世の王、千変シュドナイを撃退している。

そのMarjoryが、佐藤邸に居候して田中や佐藤と深く関わっていることに緒方が嫉妬心から突っかかってきた際に、自分と田中や佐藤との関係は、緒方が心配しているようなものではないことを釈明した上で発した助言は、「嫉妬やら恋愛に伴い表れる醜い感情は、別に恥ずべきことではない。それは、それだけ本気だと言うことの証明。大事なのは、相手と心を通い合わせることだ。」

心を通じ合わせると言えば、今週は「一般に男より意思の疎通が上手いはずの女性同士の関係がなぜ陰湿で難しいのか。いがみあい、悪口を言い合う関係になりやすいのか。」という話題で、面白い話を聞いた。その回答は、「女は皆自分が一番で男から見てもらっていたいのだ。それは歳とか見てくれとかに関係ない。」ということだった。もちろんそういう本能が強い女もいれば弱い女もいて程度の差はあるようだが、女性が本質として持っている要素なのだそうだ。なるほど、これは説得力があるなと感心してしまった。

もう一つ、また話が飛ぶが、吉田松陰の松下村塾の掲げた理念と言うか塾是のようなものが、「立志、択友、読書」の三つだったそうだ。付き合う友人や恋人を決める基準として親友に紹介できるかと言うのは、非常に有効な基準になる。頭では分かっていることだが、殊に恋愛の場合など、本気になるほど一種の尋常ではない化学変化が起こっていて、親友基準さえ上手く機能しない。そう言う煩悩に捕らわれている時に、親友の声を聞きふと我に返るということはあるんだな。そう言う煩悩に陥り、胸が痛んだこと。久々に友人との他愛のない会話に我に返ったこと。これら全てが生きることに感謝したくなる瞬間だと思える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

機動戦士ガンダム00-第1季を見終わって-

第1季終了後、1月近く経ってしまいましたが、遅ればせながら、感想を書きます。

う~ん、難しい設定で比較的良くやっているかなと評価した時期もありましたが、やはりだめでしたね。Trinityが出てきた頃からですかね、訳が分からなくなっていったのは。やはり、ガンプラ売るためにやたらとMobile Suitsを出すのはまちがっているんでしょう。それでも、Seed Destinyよりははるかにまともです。しかし、最低最悪作品のDestinyよりましぐらいでは機動戦士の名が泣くと思いますよ。

この作品のおそらく最大の失敗原因は、なんと言っても登場人物が多すぎること。特に物語の進行にあまり意味を為さないと思われる人物が多数登場した。そのせいか、物語りの終盤、あまり意味もなく、人がどんどん殺されていったのではないかと思われる。

まず、絹江Crossroad、“Celestial Being”の謎を追って取材中にこの物語中最悪の悪党Ali Al-Saachezの手で殺害される。そもそも、経済特別区日本に住む日本人と思われるCrossroad姉弟などがこの物語にどう言う意図で登場させられていたのか全然わからない。絹江の取材を通じて“Celestial Being”の謎が少しずつ解き明かされていくと言う設定であったのかもしれないが、それならば、ここで絹江を殺してしまって良いのかと言う新たな疑問が生じる。

続いて、梯子を外されたTrinity三兄弟の内、長兄Johann、次兄MichaelがまたまたAl-Saachezによってあっけなく殺され、妹のNenaだけが生き残ることになる。Trinityなんて、どうでもよかったんだね、最初から。

最終二話では、なんとあのLockon Stratosまで死んだ(?)かに見えたがどうなんだろう。多分、Lockonは殺されたんだろう。これもAli-Saachez絡みだ。そして他のGundam Meistersの中では、Tieria Erdeは生き残ったのは確実だが、Allelujah Haptismは、彼の多重人格を形成している凶暴な方のHallelujhaは亡くなった様だったが(「俺は先に逝く」の台詞あり)、実体のほうのAllelujahがどうなったかは不明。まさか本人は生き残って、都合良く多重人格を克服したことにでもなるんだろうか。

そして、我等が刹那・F・Seieiはどうなったんだ。まさか死んだんじゃないだろうな。お前がなんで、Marina Ismailに惹かれていたのか、全然意味不明でした。単にKurdistan人として民族的に近いAzadistanの皇女であり、美人の彼女に親近感を持ったと言うだけなのか。

極め付けがGraham Akerの死に方だと思う。物語中、Union Flagのエースとして、また騎士道的な考え方をする生粋の軍人として、人革連の中年の星Sergei Sminovとともに比較的好意的に描かれていた人物の代表格であったはずなのに、新型Flagで手負いの刹那に特攻をかけるようにして死に急いだ格好だった。GrahamはFlagにこだわって、太陽炉を積んだ新型に乗るのを拒んでいたために、この対“Celestial Being”作戦参加しているのは如何にも奇異に見える。ここにGrahamが刹那に突っかかってくるのはどう見ても唐突だし、彼の騎士的気分からして、手負いの刹那に牙をむくのは今までの人物像からしても納得しかねるところだ。ここで刹那と戦うのはGrahamじゃなくてAli-Saachez以外考えられないだろうが、と思わず独り言。

Celestial Being”のChristinaなどCrewの3人も戦死したし、第1季のラスボスらしき人物は、当初Celestial Being”側の人物と思しかったAlejandro Cornerであったりと、よくもまあ、登場人物が大量に死んだ上に、説得力に乏しい設定でありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

早慶Regatta

春のうららの隅田川で行われる早慶Regatta。今年で第77回を数えるのだそうだ。Regattaは、伊語で覇を争うの意味だったそうだが、英語に転じてヨットやボート競走を意味するようになったようだ。

生憎の曇り空と強風の中隅田川にかかる桜橋付近まで出かけ、午後2時過ぎから第二エイトと対校エイトの競走を観戦する。第二エイトは二軍のことで、対校エイトは一軍とのことだったが、どちらも早稲田が圧勝と言う感じ。対校エイトが開始された3時前には、風もほとんど止み、条件はそれ程悪くなかったようだ。ただし波は結構高かったようで、漕ぎ手はいづれもびしょぬれになっていた。両国橋から桜橋を過ぎたところに設けられているGoalまで3000Mを10分弱の高速で走り抜けて行った。

早稲田が勝つと、曇り空が次第に晴れ、帰りは汗ばむほどに気温が上がってきた。この週末は土曜日の「浅草流鏑馬」、日曜日の「Regatta」と行事続きだった。天候が今一つだったせいか、人出が比較的まばらで、昨日の流鏑馬などは三番目の的付近のすぐ目の前で流鏑馬を堪能することができた。おまけに當的の記念品まで当たり、良い感じだった。

20080420regatta_005_2 20080420regatta_007_2 20080420regatta_008_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Ask Not What Your Country...

“Ask not what your coutry can do for you, ask what you can do for your country.” (John F. Kennedy)

半世紀も前にJFKは、米国国民にこう呼びかけた。情けないことに、こういう類の大見得を切れる政治家は、もはや我が国からは絶滅してしまったようだ。道路特定財源問題に群がる自民党の道路族やそのまんま東を始めとする県の首長たちの浅ましいこと、ここに極まれりだ。この問題は誰がどう見ても、「道路特定財源の存続がどうしても必要だと言うならば、教育は最重要だから教育特定財源、福祉だって重要だから福祉特定財源と全て特定財源化しなければ済まなくなるはずだ。」と言う民主党菅直人などの主張の方に分があるのは明らかだ。

年金問題だってそうだ。基礎年金は、そもそも国民年金保険法と言う法律を根拠にする制度で、全ての国民の「老齢」、「障害」または「死亡」と言う事故に国民が共同連帯して備える保険制度なのである。国庫は、確かにその給付費用の半額を負担することとなったが、しかし、制度の理念はあくまでも国民が保険料を出し合って相互扶助を行うことなのであって、生活保護のように国から施しを受けるための制度ではない。ところが、理念を語れる政治家が絶滅したせいなのか、国民の中には基礎年金と生活保護を取り違えているとしか思えない者が非常に多くいる。民主党は基礎年金を税金でまかなうようにすると主張しているが、それならばはっきりと基礎年金ではなく、生活保護と名称を変えることが、誤魔化しのない、正々堂々とした姿勢と言うものだ。

“Government of the people, by the people, for the people.” (Abraham Lincoln)

「日本国民の、日本国民による、日本国民のための政府、政治」。それを確実に実行することがまずありきのはずだ。与党の中にさえ、外国人に選挙権を与えようと言ういかれた考えを持って、あまつさえそれを法制化しようという連中がいることは、ほとんど絶望的な状況だ。参政権を得るためには、単に納税するだけでは足りないのだ。我が国は在日外国人に対して帰化を認めている。日本に帰化と言う形でCommitしようとしない外国人に参政権を与える?!、一体こういう日本の政治家たちの理念とは、何なのだ。我が国の主権をどこか他国にくれてやり、同胞を外国人の奴婢奴隷の類に貶めようと言うことなのか。国のために何が出来るかどころか、国から施しを受けることばかりに熱心で、国を売るような政治家を選挙で選んでいる国民は、JFKとLincolnの言葉をもう一度噛みしめてみて欲しいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

灼眼のシャナ-その1-

今日は、久しぶりに秋葉原に行ってきました。秋葉原ならばどこにでもあるような雑居ビルの4階に店を構えた電器屋でRegion FreeのDVD Player“AUDING ADV-024”を6,980円で購入。繋いでRegion Code「0」に設定してDVDを作動してみると、行けます。Region 1の米国製DVDがうまくTVに映るではありませんか。

最近の液晶TVはPCのMonitorとしての機能もあるようなので、地デジ変換のことも念頭に新しいTVを買って、外国のDVDは専用の古いPCを繋げてTVに映すようにする目論見だった。しかし、肝心の古いPCの調子がすこぶる悪く、修理に金をかけるくらいならばRegion FreeのDVD Playerを買ってしまえと言うことにしたのだが、1万円以下で当初の目論見以上の結果が得られた。製品は中国製ではあるが...。

さて、その雑居ビル。電器屋の隣は、何とコスプレに使う武器を売る店、階段を上がる途中には、萌え系Animeを売る店がそこら中にポスターを貼り付けており、まさに秋葉原の裏通りそのものだ。こういう恥ずかしくなるような萌え萌えAnimeに比べると、認知度の高い「灼眼のシャナ」は、Light萌えであり、戦闘系萌えと言うことになるのだろうか。Robot Anime Fanを自称する私としては、多少道をはずしている感じで、自責の念に駆られながらもSeason 1を見てみました。

世界にはこの世のParallel Worldとしての紅世(ぐぜ)が存在し、その異次元世界には紅世の徒(ともがら)と呼ばれる妖怪にも似たもの達が住み、相当に戦闘に明け暮れる厳しい生活を営んでいた。遙か昔、徒達は紅世からこの世に渡り来る魔術のようなものを編み出し、この世に渡り来ては人間を食らうことを始めた。人間を食らうと言っても、人間には気づかれないうちに、人間の存在の力を食らうのである。徒に存在の力を食われた人間は、既に死んでいるのだが、大量の人間を食らって殺してしまっては、さすがに人間もおかしいと気づく。そこで、徒達は、食らった人間の存在の力をわずかながら残しておき、その人間の残骸からTorchと言うものをつくり、Torchはその人間の生前の姿であたかも生きているように動き回るため、周囲はその人間が死んでいることに気が付かない。Torchは徐々にその存在感を薄め、やがて燃え尽き、消滅したとき、周囲の人はその人の存在を既に忘れている。そのため、一般人は徒の存在とその恐ろしさに気づくことはない。

しかし、そうは言っても、徒がその欲望を満足させるために人の存在を食い続ければ、次第にこの世と紅世(ぐぜ)の均衡が崩れることは明らかだ。紅世(ぐぜ)の住民の中にもそのことを危惧する者もおり、その中の能力の高い者、紅世(ぐぜ)の王と呼ばれる者の中には、人間と契約して契約した人間に宿り、同胞である紅世(ぐぜ)の徒(ともがら)や王を討伐することを使命と考える者が現れた。また、人間の方でも、自らや肉親が徒に襲われたことを認識し、主に徒に対する憎しみや復讐心から紅世(ぐぜ)の王と契約を結ぶ者が出てくるのである。これらの紅世(ぐぜ)の王と契約した人間のことを劇中ではFlame Hazeと呼ぶ。Flame Hazeはこの世と紅世(ぐぜ)の均衡を保つことをその使命と考え、紅世(ぐぜ)の王から与えられた戦闘で殺されない限りは永遠とも言える生命と人間の能力を遙かに超えた戦闘力や劇中自在法と称される魔術を使う能力を有する。

我らがHeroinシャナもFlame Hazeである。彼女の場合は、一般のFlame Hazeとは事情をやや異にしている。彼女は捨て子だったところを育ての親である別のFlame Hazeに拾われ(たぶん日本で)、同じく先代のFlame Hazeを戦闘中に失い、跡継ぎを探していた紅世(ぐぜ)の王で「天壌の劫火アラストール」に育てられた純粋培養のFlame Hazeだった。そのため、恐らくこの世で唯一「私怨を持たないFlame Haze」であり、使命に忠実で固有の名前さえ持っていなかった。

大量の人間を食らう紅世(ぐぜ)の王「人形遣いフリアグネ」を追って御崎市にやってきた炎髪灼眼のFlame Hazeは、偶然徒に食われて既に死んでいるTorchの少年に出会う。この少年こそ、主人公坂井悠二だった。悠二は炎髪灼眼のFlame Hazeから事情を説明され「既に死んでいる」と告げられても大きく取り乱すこともなく、「お前は、只のTorch、私も只のFlame Haze。ある意味Torchと同じよ」と捨て台詞をはく炎髪灼眼のFlame Hazeに対して、「もう只のっていう言い方はやめろよ」と言うような言い合いをする。そして、炎髪灼眼のFlame Hazeに始めて名前をつけるのがこの場面だ。彼女が戦闘で用いる小柄な体躯に不釣合いな大刀贄殿遮那(にえとののしゃな)から取った「シャナ」がこの時から彼女の名前になる。この出来事が、非常に象徴的な意味を持っており、個を殺して、使命に忠実に生きることを是として、実際そのように生きてきた彼女が名前を与えられて、一人の人間として、また女性としての感情を呼び起こすきっかけになる出来事だったと言える。

結局、「灼眼のシャナ」は、萌えキャラや変態的な性向を持つ敵役を用いているのが一つの特徴ではあるが、典型的な “A boy meets a girl.”の物語なのである。Robot Anime評価基準に当てはめてみると、Robot Actionに相当する戦闘シーンは、まあまあと言うところでしょうか。大刀を振り回す少女と言う設定は、Blood+の小夜がそうだったが、炎髪灼眼になって封絶の中で戦うシャナの方が迫力の点で遙かに出来は良いと思えるのです。

人間関係は、学園もの仕立てで、シャナと悠二が恋愛や戦闘を経験しながら成長していく姿がそれなりにくせのある脇役達との絡みで良く描きこまれていると思う。200万部も売れた原作小説が存在するとのことで、人間関係と世界観がそれなりに納得の行く形で描きこまれているのはその原作小説に負うところが大きいのだろう。

面白いのは、小説から入ったFanのAnime批評が結構Animeにがっかりしたと言うものが散見され、反対にAnimeからの参入者が期待して小説を読んだところ、筆者の文章が下手で、途中で止めてしまったと言うような人が多いようだ。人間と言うのは、本当に保守的な生き物であることは、こういうところからも容易に推測される。その点は差し引いても、原作の方は、発想の面白さや挿絵などが評価されているようだが、小説としてはそれ程のものではないようだ。絵も綺麗だし、出来も好いので、Animeで十分などと、Robot Anime Fanの名前を返上しないといけないようなことを言いつつ、炎髪灼眼の話の一回目の批評は見事炎上...。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

確定申告をやってます

来週にでも確定申告をしてこようと準備をしてます。今年から、定率減税が無くなること、従来の損害保険控除が地震保険限定になったことなど、周知のことだったんですが、所得税の税率も今年度から変更されていたんですね。知らなかった。英米などの動向(おそらく世界的な潮流?)とは逆行する形で、再び累進性の強化の方向に改正されています。やはり、日本が格差社会などと殊更喧伝するのは、自分たちが世間の常軌を逸した高額所得者である報道関係者の世論誘導に過ぎないようです。

 給与等収入の金額       給与所得の金額
~650,999円             0円
651,000~1,618,999  給与等収入金額-650,000
1,619,000~1,619,999           969,000
1,620,000~1,621,999           970,000
1,622,000~1,623,999           972,000
1,624,000~1,627,999           974,000
1,628,000~1,799,999  給与等収入金額÷4×2.4
1,800,000~3,599,999  給与等収入金額÷4×2.8-180,000
3,600,000~6,599,999  給与等収入金額÷4×3.2-540,000
6,600,000~9,999,999  給与等収入金額×0.9-1,200,000
10,000,000円~  給与等収入金額×0.95-1,700,000

          課税される所得金額に対する税率
 課税される所得金額       2007年度     2006年度まで
0円           0           0
1,000~1,949,000          0.05          0.1
1,950,000~3,299,000 課税される所得金額×0.1-97,500          0.1
3,300,000~6,949,000 課税される所得金額×0.2-427,500 課税される所得金額×0.2-330,000
6,950,000~8,999,000 課税される所得金額×0.23-636,000 課税される所得金額×0.2-330,000
9,000,000~17,999,000 課税される所得金額×0.33-1,536,000 課税される所得金額×0.3-1,230,000
18,000,000円~ 課税される所得金額×0.4-2,796,000 課税される所得金額×0.37-2,490,000

ざっと、こんな感じで所得税が課税されるわけです。高額所得者ほど「課税される所得金額×税率-XXX,XXX円」のような計算になるのは、超過累進税率によるものです。つまり、全ての課税所得に一律の税率が課せられるのではなく、どんな人にも最初の1,949,000円には0.05が、次の1,950,000~3,299,000には0.1がと言うように税率が累進的に課される仕組みです。しかし、以下の表から低所得者の税金が減り、高額所得者に対する増税は明らかです。低所得者の小生にはありがたいことですが、弱者扶助の旗印の下がんばった人を冷遇する仕組みが社会に蔓延していくのは、非常に気になります。

 課税される所得金額    2007年度  2006年度まで
1,949,000 97,450 194,900
3,299,000 232,400 329,900
6,949,000 962,300 1,059,800
8,999,000 1,433,770 1,469,800
17,999,000 4,403,670 4,169,700
18,000,000 4,404,000 4,170,000
        (単位:円)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

創聖のアクエリオン

「創聖のアクエリオン」26話見終わりました。うーん、この作品を果たしてReal Robot Animeと言って良いのか、非常に悩ましいところです。Evangelion以来、難解な世界観にこだわっているRobot Anime、 例えば、EurekaやZegapainの対極に位置するような作品で、人気が出たのは何となく理解できるのですが、私としては視聴をお薦めしません。ただし、AKINOの歌う「一万年と2千年前から愛してる」と言うさびの主題歌は、一度聞いたら忘れられない最高の出来の良さです。

評価が低い理由を分析すると、第一に、Robot Action方面です。Aquarionといえば合体ですが、CGを駆使した画像は、これが売りだけに群を抜いている感じもいたします。しかし、Vector Machineの合体時に主人公やHeroinがそれこそ合体のときの喘ぎ声をあげるのは、良く分からない設定と言うか、やはり冗句なんでしょうね。主人公Apolloの繰り出す、月まで届く無限パンチも単なる冗句。とすれば、こういう作品に、Aquarionの動力源は何かなどと言う疑問を持つこと自体滑稽なのかもしれません。この点で、MS Gundam Seriesは、最もしっかりしているみたいで、最新のGundam00でもGN粒子と太陽炉と言った理屈を用意してくれていて、個人的には好感がもてます。Evangelionなんか電力供給するコードつけて走っている。こう言うRealismが好いのです。

第二に、人間関係の描写ですが、浅いの一言に尽きます。SoccerのPierreのような訳の分からない登場人物は、物語の中の意味づけが最後までわからずじまいで、居ても居なくても良かったんじゃないだろうか。不動指令は、確かに物語進行上、重要な役割を演じていたが、しかし、この人物のことは何一つ分からずじまい。あれだけ偉そうに御託をならべた上に、Apolloたちだけを地球存続のための犠牲にして、自分はのうのうと生き残っているとしたら驚きだ。そして肝心の主人公Apollo、こやつの性格描写もさっぱりで、何でこういう行動をとるのかと言う必然性が全然描きこまれていない。人間の描き方が浅いので、主人公、Heroinなどの人間的な成長なり、人としてどうあるべきかなど、製作者の主張についても不動の口を借りて偉そうなことを語らせている割には、非常に薄っぺらい。

第三に、世界観。そもそも、これをAquarionに求める方がいけないのか。Eurekaはもとより、Evangelion、Zega、Rahxephonなどとは比べようもない。しかし、この世界観の希薄さが、人間描写の浅さにもつながっているようにも思える。あまりに難解で、視聴者のほとんどが理解不能な世界観では困るが、Robot Anime作品に深みを与えるのは、良く練られた世界観の確立があってこそだ。

結局この作品は、余程の合体Robot Maniaでもない限り、単なる冗句として見る程度のものと言うのが今回の結論です。しかし、主題歌は好い。カラオケの持ち歌に加えておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

男は強くなければ生きていけない

“If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.”---Raymond Chandler

この名言をふと思い出す今日この頃である。つまり、相撲は蒙古人の天下が久しく続き、そして、地元開催の有利も生かせず韓国に敗れ去ったHand Ball。今週は日本の現状を象徴するかのような、Sports界の動きだった。

Hand Ballは確かに日本では超のつく注目度の低い種目で、所謂「中東の笛」が引き起こした一連の騒動がなければ、大多数の日本人にとってどうでも良いことだったのかもしれない。しかし、それにしてもだ、現代日本人はどうしてこうも競い合いに弱い民族になってしまったのだろう。

その解答は、おそらく、競い合いを嫌い、競い合いをできる限り避けようとする社会の雰囲気や義務教育に求められるのだろう。最近報道されて話題になった杉並区和田中学の補習授業問題に見られた民主党系の区議や東京都教育委員会の連中の考え方である。少なくとも子供の学力を少しでも伸ばそうと行動を起こした校長や父兄に待ったをかけたこの人たちの行動原理は理解に苦しむ。一体どういう思考回路で、望んでいる子供に補習を受けさせ、学力を少しでも伸ばすことに、教育委員会が反対するのか。答は一つ、この人たちは少しでも日本人の教育水準を落とし、日本の力を将来にわたって低下させたいとでも考えているに違いない。

しかし、人間が生物である以上、競争が無く、誰もが努力もせずに幸せになれる楽園などこの世に存在するはずも無いのだ。仮に島国日本の中だけでそんな空想が実現できたとしても、そんな温室で育った人間が世知辛い外界で生きていくことは無理なんだろう。

普通の人間は、否応なく競い合って生きていかなければならない。そこで敗れれば、それなりの報いは受けなければならないのが世の習いというものだ。それが受け入れられないならば、死ぬしかないのだ。今の日本で生じている程度の格差を「格差社会」と称して全否定するのは、競争を嫌ってぬるま湯の中で生きてきた悪癖としか言い様がない。ここのところ、五輪のメダル数で中国はおろか人口の少ない韓国にも出し抜かれていることの本当の要因は、正にこの点にあるのだろうと確信している。だから、単純にSports振興に金をつぎ込めば蒙古や韓国に勝てると言うような簡単な問題ではないと思うのだ。

Chandlerの言葉で、和訳では「強くなければ」と訳されている部分は、腕力や喧嘩の強さを連想させるStrongでもなければ、耐久力や抵抗力を想起させるToughでもなく、“Hard”と言う単語を使っている。Hardは、第一義的には「固い」と言う意味だが、転じてHard workingのように「手堅く懸命に」と言うような意味合いがある。更に英英辞典を引いてみるとGentleに対する反対語としての意味がある。“You're a hard women.”“I'm afraid I said some very hard things to her.” つまり、「男は強くなければ...」で誤りではないが、より正確には「男は(競い合いおいて)情け容赦なくかつ懸命でなければ生きていけない」のである。

しかし、そこまででは、人が人たるに値しないのも事実であって、強烈な生存競争を厳しく生き抜いて行く中で、同時に他者の幸福を祈り、殊に弱者に対する思いやりを忘れてはならない。これが、Chandlerの言いたかったことだと思う。だとすれば、ここで言う弱者とは、非常に限定的で、子供や女性、身体機能などに障害を負った者ということになるのだろう。

少子高齢化が進む我が国において、基礎年金制度を維持していくことは、確かに大変なことだ。しかし、年金制度は、国民年金保険、厚生年金保険と言うように、保険制度であって、生活保護制度ではない。保険とは加入員が保険料を出し合って、事故にあった時のリスクを軽減して、事故に備える制度だ。この場合の事故は、「老齢」、「障害」、および、「働き手の死亡」だ。日本人の平均寿命が驚異的に延びて、老齢はもはや事故とはいえないのかもしれない。事故でなければ、つまり働ける老齢者には働き続けてもらい、真に弱者と言えるような老齢者にのみ生活保護を供与すると言うのが、健全な姿というものだ。格差格差と騒いで、大量の似非弱者を産み出す報道関係者は、小泉改革の中で生き残った数少ない規制に守られた業界の一つで、非常識に高水準の報酬ばかりでなく言論と言う権力も持った社会的強者の最もたる者たちである。

If all the Japanese people weren't hard, they wouldn't be alive. と言うことなんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日経一面を見て

困ったものです。福田康夫と言う現首相に、我国の指導者と言う実感が全然持てないのです。念頭の所信表明も見る気も起きませんでした。何の期待も抱かせない指導者。これでは、株価も年頭から暴落と言うのも分かるような気がします。かと言って、もう一つの選択肢が小澤一郎では、救われません。結局、政治に期待してはならないと言うことですが、衰退期に入った国の指導者の選択肢が無いというのは厳しい状況です。

いくら我国が衰退期に入った先進国とはいえ、今朝の日本経済新聞朝刊「YEN漂流 縮む日本」の特集記事の内容はひどいものでした。1980年代、経済力に物を言わせ、海外の高級品を買いあさった日本であったのが、逆に露西亜や中東の成金が特殊な日本製高級自動車を買いあさるため、日本人の手が届かない高値に上昇したりするグローバル価格と低価格にはりつく国内価格の二極化現象を捉え、「気がつけば途上国」と言う見出しをつけているのだ。

高級自動車の他に、欧州製高級婦人服が「日本向けセカンドライン」を創設した対日新戦略、Hotel業界が始めた平均客室料が6万円を越す海外成金向け客室と価格設定の登場が紹介されている。ホテル・ニューオータニの例では、こう言った超高額客室の宿泊客の7割が露、中、仏などからの外国人客が占めているそうだ。

そして、記者は次のように結論付ける;

この構造変化は、グローバル化による国境を越えた価格裁定と無縁ではない。世界を飛び回る企業人や旅行者などグローバル層の利用する高級なホテルやサービスは、国際価格に収斂しやすくなる。一方、国内消費者が中心で国際競争に晒されない国内価格はその国の所得や為替相場など購買力に影響される。・・・・・国際競争力の低下と円安で相対的に貧しくなった日本。その象徴の二重価格を健全な形で解消するには、成長力を上げ、日本の購買力を増すことが必要になる。

何と、頓珍漢なことを言っているのか。第一に、日本製の自動車にとんでもない高値を付けてきたのは、一体誰なのか、こいつらは少なくとも先進国の人間か。否である。露西亜や中東のそれこそ所得格差が日本人の常識からすればこの世のものとは思えない程に歪んでいる産油途上国の石油成金ではないか。ここもとの資源価格急騰の副産物が生み出したそれこそ泡のような現象に過ぎない。こいつらのことだ、他の先進国の高級品、例えば英国の高級Flatとか、南仏の別荘、伊太利亜の高級服飾品でも何でも金に糸目をつけずに買いあさっているんだろう。そういう連中は何時でも先進国の「葱を背負った鴨」なのだ。80年代の日本人がそうだったように。

第二に、欧州製高級婦人服「日本向けセカンドライン」を創設した対日新戦略と言うが、セカンドラインとは言え、日本の女性向けを特に意識した戦力を打ち出すと言うことは、日本市場がまだまだ儲かると言うことの逆説的証明と見るべきではないのか。産油国の成金やBubble時代のような狂気的な購買をしなくなったから途上国と言う見方こそ狂気の沙汰と言っていい。

第三に、記者の言うような二重価格は、英国だろうが米国だろうが、どこの先進国にも見られる現象だ。例えば、Londonを訪れる金持ち観光客はTeaをFortnum and Masonで買い、BarbaryやAquasqutumで買い物をするが、庶民はせいぜいTescoかMarks and Spenserで安い紅茶や衣料を買う。米国に至っては、庶民はWalmartなどで本当に格安の品物を買うのが普通だが、世間の景気や物価を気にも留めずに高級百貨店で買い物を続ける内外の金持ち層がこれらの業界と景気後退時の消費を支えているのだ。だからと言って、英米が途上国だと言うような愚か者は一人もいるまい。

我国が国全体としては、相対的に経済力を低下させているのは、おそらく事実だろうが、今現在日本が途上国に転落しつつあるはずがない。だが、日本を代表する経済情報紙、「日経」の年頭の特集記事が、このように程度の低いものであると言う点については、日本人の教養、ものを考える力の低下を如実に物語っているようで、空恐ろしい気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゼーガペインとAnime雑感

Zegapain、第23話「光の一滴」、第24話「舞浜の空は青いか」、そして最終話「森羅万象」までを視聴。Zegaは、噂にたがわない秀作。小難しい「量子論」を正面から取り扱っているにもかかわらず、量子論の何たるかを理解していなくても、それなりに説得力のあるわかりやすい展開と結末はみごと。Zegaは、守凪了子の物語という見方もあると聞くが、24話と最終話のHeroinは再び三崎紫雫乃という印象が強い。人類を滅ぼしたGardsormは量子の揺らぎこそが人間の心を創ると言う説を唱えた。それを実証するために造りだした人工幻体こそが、彼女の正体だった。自分だけはGardsormの技術を以ってしても実体のある人間には戻れないことを悟っていた彼女は、限りある命と引き換えに再び生身の肉体を取り戻すことに成功した十凍京に、「京、大好きだったわ」と最後の別れを告げる。

最終話を見てからしばらくたって気づいたことが一つある。量子論のさわり位は読んだので、すぐに気づくべきだったのだが、なんとも鈍いのが口惜しい。物語には、何故か時折猫が現れ、紫雫乃からMilkを与えられたり、瀕死の島の許に現れどこかに連れ去ったり、最後には舞浜Serverに転送されたミナトたちの許に現れ、Ressurection Systemおよび高度の幻体修復に関するDataを転送したりと、かなり重要な役目を果たし、日本語版DVD“File1”の表紙でも紫雫乃の足下に寄り添う。この猫は、「Schrodingerの猫」を想起するための小道具に違いない。こう言う遊びが分かって知っている人は「にやり」とする仕掛けが、最近のReal Robot Animeに見られる特徴の一つかなとも思う。そんなことも含め、Zegaは、本年に見たAnimeの中では最高の作品と評価している。

Anime “MAJOR”「聖秀学院高校」編も見ている。原作は少年サンデーの長期連載記録を更新中というこの作品は、主人公茂野吾郎の野球を題材にしたスポ根ものでもある。スポ根ではあるが、スポ根も時代を反映して随分と変化したものだとつくづく思い知らされる。この作品の主題は、徹底して管理野球とManualに反発して、遠回りをしながら、時には進んで逆境に身を晒しながら戦う茂野吾郎の反骨の生き様である。この系譜は、矢吹丈あたりからの流れなんだろうが、MAJORでは、ことさら管理とManualの否定が鮮明だ。益々管理社会の様相が強まる21世紀だが、それに逆行するかのようなこういうAnimeがそれなりにFanを惹きつけるのは、十分に理解できる。巨人軍は、もはや「巨人の星」の頃のプロを目指す野球少年たちの憧れではなく、むしろ、元祖管理野球や金満球団として否定的な意味合いの濃い球団と言うのが定石であるようだ。そうだとすれば、巨人離れはもう止められないのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

視力回復と3D

長いこと0.0台の近眼である。この位だと、まともに眼鏡で矯正する場合、物が小さくなったり、端がゆがんだりする。そのため、コンタクトレンズを使用していた。

しかし、コンタクトレンズの使用をほとんど停止して一年半程になる。建築士のカイフさん(多分「回復」と言う意味でカイフなんだろう)と言うハンドル名で発信されている、視力回復訓練のMail Magazineに出会って以来、氏の推奨する3Dによる回復訓練を続けているからだ。

この視力回復訓練法は、1.平行法および交差法による3Dの立体視をしたまま、何十回も前後に絵を動かして硬直している目の筋肉のリハビリをする。2.目を疲れさせないように、TVなどは、Eye Glassesを使用して見るようにする。基本的には、この2点だけで、単純明快なものである。

単純明快なだけに続けやすい。また、回復まで時間はかかり、即効性はないが、しかし、効果はあるようだ。小生は、「3D Flowers」(廣済堂出版)を使っているが、これを始めた頃は、一部の絵で眼の筋肉が確かに動かされている感じで、涙が出てきた。未だ、PCを裸眼で読むまでには至っていないが、一年半に及ぶ朝晩の訓練で、0.1位までは回復してきた気がしている。その上、訓練を始めてから、目薬を使おうと思うことがなくなった。極度の眼の疲労というものが、消え失せたのだ。

とこれを書く気になったのは、つい先日、それまで平行法で見ていたFlowersの3Dの隠し絵のいくつかが、交差法でも見えるようになったことがきっかけだ。それまでは、平行法は、対象が周囲から浮き上がって見え、逆にj交差法では周囲が浮かび上がり、対象は沈んで見えると言うような解説は聞いていたが、Flowersの本では、隠し絵については全て平行法により、交差法訓練用には、2枚綴りの写真が別途用意されていたため、隠し絵が交差法で見ると周囲が浮かび上がり、対象は沈んで見えると言うのは何かの間違いだろうと勝手に思っていたからだ。

ところが先日、そういうこともできるのかなと言う具合に、試してみたところ、それまでなかった絵が飛び出してきて、真ん中にある対象物の珈琲茶碗が沈んで見えたのだ。訓練を始めて一年半余り、遂に交差法で隠し絵が見られるところまで来た。そして、近視は正しい訓練によってある程度は回復すること、そして、この訓練によって、老眼も相当程度の確率で防止もしくは発症を遅らせることができると確信した。

今は、来年0.2、再来年は裸眼でPCが見られる水準、つまりは、0.3以上と言う具合に、少しずつ回復させて、眼鏡のいらない眼にしようと中長期計画を立てている。

http://www2.odn.ne.jp/~aav52360/shiryokukaifuku.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゼーガペイン“Zegapain”と量子論-その2-

Zegaは、第23話「沈まない月」まで鑑賞しました。Anti-Zegaの攻撃を受け転送中にDataを喪失して消滅してしまう守凪了子。かろうじて再生されるも感情領域をAltairの中に取り込まれ、Zegaに搭乗する時だけしか京とまともな会話が出来なくなってしまう了子。救いようのない悲惨な設定はZegaの十八番の一つですが、このあたりの展開を捕らえて、Zegaは守凪了子の物語でもあると言うのも頷けます。

また、量子Serverが見る夢のような存在である「幻体」になった人間がまた夢を見ると言う話や人類が滅亡した現実世界と舞浜Serverの中のVirtualな世界を行き来する京が、現実を知らずにServerの中で本気で生きているカワグチ等と作り物の世界であるということを知ってしまいVirtualな舞浜では真剣になれなくなった自分を比べて、一体どちらが本当に生きていると言えるのか悩んだり、量子論的な主題もしっかりと押さえていました。

私自身は、GardsormのServerの中でNagaと対決する京が言い放った捨て台詞、Nagaの御託は分からないが、俺の拳が、俺の上腕二頭筋が、そして俺の魂が、お前のことが大嫌いだと言ってるんだ、この辺りが臭くてZegaらしさ丸出しで好きでした。逆説的には、正にこの点が主人公のくせに公式HPの人気投票で5位に低迷する十凍京の本領でもあるなと痛感してしまいます。

さて、話は変わって、量子論に首までつかりながら、Einsteinと同様最後まで量子論の展開に反対の立場をとったSchrodingerの有名な思考実験「Schrodingerの猫」(1935年)について以下にまとめておきます。

1.鉄製の箱の中に放射性物質、放射線の検出器、検出器に連動した毒ガス発生装置をおく。放射性物質が原子核崩壊を起こすと放射線を放出する。検出器は放射線を検出すると信号を毒ガス発生装置に送ることになっている。

2.この箱の中に生きた猫を入れる。もし放射性物質が崩壊して放射線が出れば猫は毒ガスで死に、放射性物質が崩壊しなければ猫は生き残る。

3.箱の中に猫を入れて蓋を閉じる。外からは内部の様子も中の音も一切窺い知ることは出来ないものとする。こうして1時間の時が経過した。

4.放射性物質が原子核崩壊を起こすかどうかはミクロの世界の現象である。その確率が1時間の時の経過の中では50%だったとする。量子論によれば、観測をすれば、原子核の崩壊の有無は確定するが、観測の前であれば「原子核崩壊を起こした状態」と「原子核崩壊を起こしていない状態」が重ね合わせた状態になっていると言うことになる。

5.そうすると、猫の状態もその生死が原子核の崩壊と完全に連動していることからして、「原子核の崩壊が起きて死んだ状態」と「原子核の崩壊が起きずに生きている状態」が重ね合わさっている状態にある、と言うことがはたして言えるのか。「生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっている猫の状態が、観測によって生か死かどちら一方に決まる」と言う結論を量子論を信じるならば、受け入れざるを得ないのか。これが、この思考実験を通じて投げかけられた疑問である。

6.Copenhagen Interpretationの立場をとる主流派は、「一匹の猫は無数のミクロの物質が集まったものであり、無数の状態が組み合わさっていると言うことができる。このような対象に単純にSchrodinger方程式を適用して、重ね合わせや波の収縮など論ずることはできないのだ。」と応えるのが一般的。

7.「マクロの物質もミクロの構造を持つ以上、ミクロの原理を適用できないはずがない。」と言う再反論。

8.多世界的解釈の立場に拠れば、世界は可能性の分だけ複数に分かれていると考えればよい。「生きている猫を見る私たちがいる世界」と「死んでいる猫を見る私たちがいる世界」の2つに分かれているのだと考える。この立場では、波の収縮を放棄し、観測する前の電子もどこか一箇所に存在すると考える。その代わりに、私たちの知らぬうちに世界が「電子がA点にいる世界」、「電子がB点にいる世界」、「電子がX点にいる世界」などに枝分かれしている。つまり、1個の電子が「それぞれの場所にいる状態」が重なっているのではなく、「各1個の電子がいる複数の世界が」同時並行的に重なっていると考えるのである。

9.と言うことは、我々観測者自身もそれぞれの世界に枝分かれして存在していると言うことになる。⇒「並行宇宙論」

Parallel World、正にZegaやMatrixの世界が大真面目に語られているのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゼーガペイン“Zegapain”と量子論

ゼーガペインは第18話「復元されし者」までを見る。生物としての人間は既に滅亡してしまっているという超悲惨な設定の中で、主人公十凍京やHeroin守凪了子達の懸命に生きる姿とその「心」の振動を通して、人間が生きると言うことの意味を考えさせる新たなReal Robot Animeの傑作である。

この物語は、量子サーヴァーだの量子テレポートだのと量子論の概念がやたらと駆使されているのが特徴の一つだが、これはEvangelion以来の日本製Real Robot Animeの特徴的な流れであり、人間存在について、宗教的もしくは哲学的な思索や世界観の一つも語れないRobot Animeは、もはや一流の作品に名を連ねることなど考えられないと言ったところなのか。その反動の兆しのようなものが「創聖のアクエリオン」などに垣間見られるような気もする。

さて、量子論。文科系の小生には、宇宙人の言語のようなものですが、佐藤勝彦氏の本など目を通してみて分かったことを、覚書程度に残しておくことにした。

1.量子とは、英語ではquantumと言う。「小さな固まり、単位」の意味。何が固まりになっているかと言うと、「量」が固まりになっている。

2.ミクロの世界の物理法則、第1法則:ミクロの物質を波として考え、そのふるまいを理解すべし。第2法則:ミクロの物質の未来は、確率的に決まると考えるべし。

電子の軌道半径がとびとびのある値に限られると言うBohrの量子条件の根拠を示すために、de Broglieは電子は波であると考えた。

Schrodingerは電子の波を表す方程式を導いた。しかし、「複素数の高さ(波動関数ψプサイ)」を持つ電子の波の正体は分からなかった。

Max Bornは波動関数の2乗が、電子の発見確率に比例すると言う「波動関数の確率解釈」を提唱した。

Bohr達は、見られる前の電子は様々な場所にいる状態の「重ね合わせ」になっていて、私達が見られた途端「波の収縮」が起きて電子は一箇所で見つかるという “Cpenhagen Interpletation” を提唱した。

Heisenbergは、ある物質の「位置」と「運動量」を測定する時、両者を同時に唯一つの値に確定することはできない、避けられない不確かさが残ると言う「不確定性原理」を発表した。つまり、ミクロの物質の性質として、ある時刻における物質の位置と運動量は唯一つに決まっていない、常に曖昧な位置にいて、曖昧な速度で運動している

つまり、量子論は、古典物理学の「ある時点での物質の状態、例えば物質がある時点でどの位置にいて、どの方向へ、どんな速度で動いるのかが決まれば、以後の物質の状態は全て確定される。」と言う物質世界に対する認識、決定論的な世界観を根底から覆すものだった。量子論は、物質や自然が唯一つの状態として決定されず、非常に曖昧であること、そしてその曖昧さこそが自然の本質であると考えた。

かのAlbert Einsteinは、「神はサイコロ遊びを好まない」と言う言葉を繰り返し、生涯量子力学の「波動関数の確率解釈」、「不確定性原理」に反対の論陣を張った。彼のEPR Paradoxによれば、外部から中が見えない箱の中に電子を1個だけ入れて密封した後に箱を二つに切り分ける。切った面はすぐに閉じられるようになっていて、切った後に何かが混入することも電子が出て行くこともないと仮定する。ここで箱の一つを地球から1光年の彼方に持ち去り、そして、地球に残ったもう一つの箱を開けるのである。このとき電子は「ある」または「ない」の一方に電子の波の収縮がおこり、状態が確定する。

すると、1光年彼方に持ち出したもう一方の箱も同時に状態が確定するはずだ。しかし、量子論では「物質の状態は観測されるまで確定しない」と考えるのではなかったか、なぜ見ていない箱の中の状態が決まるのか、と言う疑問が残る。量子論側からの回答は、「地球に残った箱を開いた瞬間、箱を開けたという情報が1光年の彼方にある箱に瞬時に伝わり、向こう側の箱の中の状態を確定させた」。これに対してもEinsteinは、「ある情報が瞬時に、時間ゼロで離れた場所に伝わるのはおかしい」と主張した。出てきました、「量子テレポート」。

年齢のせいか、近年、どちらかと言うと「人は何のために生まれ、どう生きるべきなのか」のような哲学的・宗教的な人間と言う存在の根源的な話に心引かれる。量子力学は最先端の物理学でありながら、存在や自然に関する世界観に連なる哲学や宗教に非常に相性が良いもののようだ、だからすっかり世界観づいた日本Animeの格好の材料でもあったと言う訳だ。古代において、科学も哲学もそう細かく分化されていたわけではなく、学問は須くどう生きるべきかと言うような題目で最終的には統合されていたのだろう。量子論はどうも最先端科学のそう言った古代への先祖帰りの方向性を示しているように思える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

株式市場雑感

米国のSub-Prime Loan問題は、Californiaの山火事のようになかなか沈静化しない。昨日の報道によれば、日本の金融機関全体が保有する関連金融商品は、Mortgage担保証券などだと思われるが、1兆3000億程だそうだ。思ったより多額と言う印象を受けた。Hedge Fund関連など金融派生商品の営業が、我が国にもこの数年予想以上に浸透していたのかもしれない。

米国のSub-Prime Loan問題は、米国とドル基軸通貨体制崩壊の引き金になるかもしれないと言う意味で確かにやばいのだろう。それにしてもだ。Bubble崩壊後の日本人は悲観論が暴走する傾向に拍車がかかってしまったと今回も思うのである。2年前の2005年11月23日感謝祭前の米国、欧州市場との比較表を見てもそれは明らかで、Bubble気味の中国・印度などとは比較するまでもないのだろう。

2005年11月23日/日本24日            2007年11月21日

日経平均  14742.58                                     14837.66

Dow         10916.09                                     12799.04

NASDAQ   2259.98                                       2562.15

LONDON   5531.7                                          6070.9

FFTDAX    5196.08                                       7518.42

この2年だけ取り上げて云々する話ではないことを百も承知で敢えて言うと、我が国はそれほどまでに欧米に比べてもお先真っ暗なのか。ここ数年多くの日本企業は、大企業中心だったのかもしれないが、Bubble崩壊後の不振から立ち直り、史上最高益を記録したところも結構あったはずだ。ここもとの暴落で、平均配当利回りが10年国債の利回りを上回ってきている。

株式市場は、現在ではなく、将来の企業業績、景気動向および経済情勢を反映するのだと言うことかもしれない。小泉元首相の退陣以来、確かにこの国の指導層の信じがたい迷走振りには、ただ呆れ返るばかりだ。今のままでは、財政は顕在破綻するまで手はつけられず、高齢化少子化に伴う経済と社会文化の成長鈍化の問題は更に悪化し、外国人の不法入国と犯罪の増加も放置されるのだろう。

今思うに、転換点は2006年正月の堀江モン逮捕だったのではないかと個人的には思っている。確かに、Live Doorと堀江氏には問題があったのだろう。しかし、堀江逮捕は、より象徴的な時代の転換点とでもいうべきものだった。既に金属疲労が限界にまで達していた戦後に築かれた政治・経済・社会に根ざした仕組みを打破しようと言う勢力に機会を与えるような方針、つまりそれは、1980年代から90年代にかけて英米が行った規制の緩和と自由競争、市場原理主義的な方向性だったと思われるが、その流れが反動勢力によって押し返され、否定されたとも言える瞬間だったのだと今にしてそう思うのである。

しかし、反動勢力に国を方向付ける指針などと言うものを期待するのは端から無理と言うもので、堀江逮捕は市場に混乱だけを残した。その上、後継の安倍前首相が一見分かっているようで実は何も分かっていない能力不足の政治家だったことは、非常に不幸なことだった。混乱は市場だけにとどまらず、政治経済全般に広がって行く。成熟期から衰退期に入った我が国は、無能な指導者でもやっていけるなどと言う余裕をかましている時間はなかったのだ。

そのあたりを見越して、外国人は日本株を売り続けるのだろうか。結論としては、今の日本に一番必要なものは、最低でも小泉さんの水準を持った指導者なのだ。今のところ現首相は前首相に比べれば、随分ましと言うところだが未だ市場の信任を得るまでには至っていないようだ。と言うか遠く及ばない。日銀総裁のように何年やっても市場の信任が得られないと言うのでは話にならない。そうはならないように祈るばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゼーガペイン“Zegapain”に永井豪の血統?

訳有って、第2話から第5話をすっ飛ばし、第6話「幻体」から第11話「残る幻」までの6話を週末見てみました。好い作品です。大企業病で堕落していくSunriseが大量に垂れ流すくそみその中にきらりと輝くReal Robot Animeの傑作が混じっていました。第6話「幻体」は、その中でも主人公「京」がこの世界が量子Serverの中の仮想現実に過ぎず、人間は既に滅亡しており、自分たちはData人格記憶体に過ぎないことを紫雫乃から告げられて困惑の極地に至る物語序盤の山場になっています。つまり、生物としての人間は最早地球上には一人も残っておらず、機械の中の幻の町で暮らす滅亡した人類の記憶に過ぎないと言うZegaの救いようの無い程悲劇的な世界観が京を通じて視聴者の眼前に提示されるのです。

ところで、Old Boyの筆者は、Zega DVD File.08の表紙絵に何故か永井豪の匂いを嗅いでしまう。この絵は人の表情や姿勢といい、構図といい、どう見ても永井豪風なんだよな。

そう思いつつ、Zegaを見ていると、Zegaのどうしょうも無く救いようの無い世界観は、永井のSF Animeの傑作Devilmanでも本当に主人公不動明が気の毒になるような悲惨な世界だったことに思い至る。登場人物の性格(キャラ)の作り方も何とはなしに永井のそれに似ているような気がする。真っ直ぐで一生懸命で明るいがそれ故になのか妙に悲しい。Devilmanになった不動明は、戦う意味を幼馴染の美樹を守ることに見出すが、その美樹も同胞であるはずの人類に惨殺されてしまう。十凍京も舞浜Serverの中にだけ存在する幼馴染の了子や友人たちとの関係の中に、自分はDataに過ぎなくても、今を生きていると言う実感取り戻し、再び戦場である現実世界に戻ってゆくのだった。

永井作品を始めて見た時、石ノ森正太郎の影響が見て取れたのですが、石ノ森は既に故人となり、永井も存命の漫画家の中では既に大御所の一人と呼ばれてもおかしくない領域に入っている。この頃の人たちの作品は、高度で難解な物語やCGを駆使した今のAnimeに比べる術も無いが、しかし、才能のある作家が描いた原始的で単純だが優れたところの多い作品群は、Diamondの原石のようにその後の日本Animeの発展のための礎のような役割を果たして来たに違いない。

Zegapain。永井の一面である優れた物語構想力、健康的なEroticism(永井はかなり病的なそれも描いてはいるが)を昇華させた作品のような、そんな匂いがする。Staffの中には永井の影響を受けた人がいるに違いない。こうして、正統な日本の漫画・Anime文化は正しく受け継がれて行くことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゼーガペイン“Zegapain”に見る男と女の役割

MS Gungamを手がけているSunriseが2006年に製作したRobot Anime “Zegapain” は、不思議な作品だ。Blogを書いたりしている核になるAnime Fanからは、放送終了後、その世界観、構成力に高い評価を得つつある。しかし、一般的な評価はそれ程高まらず、私自身あるBlogの批評を読むまで注目さえしていなかった作品なのだ。

第一話“Entangle”(罠にかける、事件などに巻き込む)を見た限り、この作品には可能性が感じられた。何度も見たくなるようなワクワク感を持った滑り出しと言っても良い。何といっても、この十凍京(ソゴルキョウ)のような直情径行型のまっすぐな主人公が、私は好きなのだ。物語が非常に複雑かつやり切れないほど悲劇的なものに設定されているため、主人公がGundamのアムロやEvaの碇シンジのようなうじうじ型だと、釣り合いが取れなかったと言う説もあるくらいだが、十凍京は好い。

そして、Heroinは、彼の幼馴染で京の絶対的な支持者である守凪了子。もう一人は、「この世界を救って」と言う謎の言葉で、彼を非現実的な世界とそこにおける戦闘へと導く、謎の女性三崎紫雫乃。

ここで、本筋からは外れるが、Zegapainで面白いのは、Holonic LoaderなるRobotの操縦を通常男女一組で行うことだ。しかも、役割分担が成されており、男性はGunnerと呼ばれ、主に戦闘時の機体の操縦および武器使用を担当し、Wizerdと呼称される女性の役割は、後部座席での機体の操縦、状況判断、飛行母艦との通信などに当たる。どちらが上と言うことではなく、性差による役割分担ということのようで、京と紫雫乃のZegapain Altairでは、今のところは紫雫乃主導である。第一話の初陣で、武器は「銃、それとも刀」と聞かれ、迷わず「刀」と応えるところに京の男気の強い性格が表れている感じがした。

こういう観点でRobot Animeを振り返ると、1970年代製作のGundamでは、MS操縦士は基本的には男性、兄への手がかりをつかむ為に勝手にGundamで出撃したセーラさんが「女でもGundamに乗れることを証明したかった。」という愚にも付かない言い訳をして独房入りをくらってましたっけ。雇用機会均等法が施行される90年代のEvangelionでは、1st、2nd Childは、女性。第8話の登場以来、アスカはシンジを馬鹿呼ばわりして、明らかにシンジよりえばってました。それがここに来て、Animeが世の中の保守回帰を予見しているのか、「男女は平等だが、役割は異なるのだ」と言う方向なのかな、と言う感じをこのZegapainの操縦席を見て持った次第です。

Zegapainは、「是我痛み」と言うことだそうですし、Holonとは、部分でありながら全体としての機能・性質を持ち、全体と調和して働く単位。また、量子力学の量子Computerの概念などが出てきて、例によって非常に難解な世界観を展開するようですが、面白いAnimeを理解するためならば、量子力学(Quantum Mechanics)も一応勉強してみようと言う気が起こります。

「消されるな、この思い」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

機動戦士ガンダム00の脆弱性

昔々、漫画好き少年の頃、お遊び程度に漫画を描いていました。当時読んでいた「漫画の描き方」みたいな参考書に漫画におけるデフォルメ(仏語のdeformer)のことが書いてあったのを思い出します。ここで、deformerと言っているのは、変形すると言う本来の意味から、漫画においてはそのままを写すのではなく、誇張された描き方で人物や物を描き出すと言うことでした。劇画の流行前の手塚漫画や石ノ森漫画のあの描き方です。

何でそうするのか、書いてあった理由が思い出せないのですが、その方が速く描けるからと言う経済的な理由の他に、まず、その方が人物の表情や性格がより鮮明に描き出せるのだと思います。次に、読者があまりにRealな絵に比べてdeformerしたものにはある程度リラックスして接することが出来るのではないだろうか。さらに、二つ目の理由とも関係があると思うのだが、漫画が芸術として昇華される可能性を残すことが出来る事も理由としてあげられるかもしれない。

その後、「巨人の星」に代表されるスポーツ根性物が一世を風靡するのと同時に、よりRealismを追求した劇画の時代が訪れます。劇画の流れは、スポ根時代が終わっても依然終わっていないのかもしれませんが、だからこそ、漫画やAnimeにおける広義のdeformerの重要さは益々高まっているのではないかと思えるのです。なぜなら、漫画やAnimeにはRealism以上に夢があることが大切で、それがないとつまらないからです。

さて、最新作の「機動戦士ガンダム00」の第一話、二話を見てみました。ちと早いのですが、9割以上の確率で失敗作になるのではないかと危惧しています。土曜の午後6時はTBS Animeの金の卵時間ですから、金はかけているようです。絵は綺麗だし、Gundamも格好いいのです。しかしだ、第二話の冒頭で紹介された、米国を中心としたUnion(もちろん我が国はその一員と言う設定)、中国、露西亜、印度の人革連、新欧州連合AEUの3Blockが世界を支配する24世紀と言う世界観に一工夫も二工夫もした跡が感じられない。それどころか、Seed DestinyやBlood+に見られた、現実世界で起こっていることの実に底の浅い情勢分析に基づく取るに足らない思想表明になるのではないかととても心配だ。あの超のつく駄作Gundam Seed Destinyを手がけたこの時間帯のTBS&Companyのことだから何があってもおかしくないと見るべきでは...。

現実の世界情勢に賛成や反対を唱えるPropaganda Animeを作ることは、簡単なことだ。しかし、それらはかつての世界大戦参戦国や現在の独裁国家が製作した宣伝映画の多くが芸術になり得ないのと同じ理由で、良い作品にはならないだろう。Anime作品はその存在自体が目的なのであって、直接的な思想表明はそれ以上のAnimeの目的にはなり得ない。思想まず有りきの作品は、どう言う訳か、つまらない作品になり易い。そういう意味での漫画・AnimeにおけるDeformerの重要性を指摘した30年前の参考書の主張は生きている。Gundam00の欠点は、ここまで見た限り、その世界観にDeformerの発想が無いことだ。

話は変わるが、自衛隊の特措法延長問題が紛糾する中、絶妙の間合いで米国海兵隊の少女暴行事件やら守屋防衛省前事務次官の接待収賄疑惑と出てきています。日本にも米国にも軍関係で腐った輩はいるのかもしれないが、表沙汰になる時が時だけに、単なる偶然なのかを考えてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヱヴァンゲリヲン「序」で使徒の血は赤だった

自称Anime Fanにもかかわらず、恥ずかしながら今頃新劇場版Neo Genesis Evangelionを見て参りました。TV版Evaをそれ程過大評価していない小生ですが、この劇場版は取り敢えず見て良かったです。「序」(TV版26話を四部作、約400分程の予定?)と言うことで、第三使徒SACHIEL、第四使徒SHAMSEL、および第五使徒RAMIELまでのお話でした。物語はTV版からほとんど外れない内容に終始し、無難と言えば無難な出だしだったと言えます。第五使徒と言うのは、あの立方体の無機質でNerv本部に掘削作戦をしかけた奴で、零号機が暴走した時の大怪我から復帰した綾波レイと初号機のシンジの連携攻撃でやられてしまうのですが、この戦いの前後の映像がかなり手直しされていて、RAMIELは完全にCG化されて非常に美しくかつ躍動的になっていました。アスカが未だに登場していない本作品では、Heroinは主に綾波レイによって演じられ、巨大な満月に映し出された彼女の出撃場面が、決して目新しいものではありませんが、映像的に非常に美しく描かれておりました。

Evaと言えば、Gainaxですが、今回は何故かEurekaのBONESが協力しており、今回の劇場版用に加えられたと思われる場面の中でやや画質の異なるもの、例えば使徒の攻撃で損傷したNerv本部でスキー場のLiftのようなものに乗って移動しながら話す葛城ミサトと赤木律子やBarでくつろぐ同じくミサトと律子など、ややBONESっぽい感じがしました。思えば、敵が青い血の人々であることに固執したRahxephonと言い、Eurekaの髪の色と目の色が綾波レイのそれに酷似していることと言い、BONESのRobot Anime製作者には、この分野の新境地を切り開いた庵野秀明とEvaに対する尊敬が当初からあったのかもしれません。

物語としては、使徒そのものとそのAT Fieldを非常に分かりやすく視覚化した第三使徒SACHIELが相手だった初陣、そして「逃げちゃだめだ。」と言うこれまた非常に分かりやすい標語をシンジに叫ばせた第四使徒との戦いと、内容が内容なんで、上手く無難にまとめていました。映像がTV版に比べて格段に良いので、文句はなしです。

「逃げちゃだめだ。」と言えば、大相撲時津風部屋のリンチ殺人事件のことが想起されるのです。事件の被害者の時太山さんは本当に気の毒な話ですが、逃げ出すことはできなかったのだろうかと思うのです。こうも虐めに起因する事件がうち続くと、他人の本当の悪意と言うものを感じたら、一目散に逃げ出すと言うのも有りなのかもしれないとふと思ってしまいました。原則として、命に危険を感じたら逃げなければ、そして、他人の善意と悪意を敏感に感じ取る肌感覚は、残念ながら今まで以上に鋭敏にしておかなければならないのかもしれません。他人の悪意など気にしない図太さと同時に。うーん、難しい。

亡くなった斉藤俊さんのご冥福を祈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

福田首相記者会見に思う

あれほど、荒れに荒れて、お先真っ暗と言う感じだった安倍政権末期から崩壊の時期の印象とは打って変わり、福田政権の船出は至って静かなものだった。予想に反してと言うか期待通りと言うか、福田新首相のそつの無い会見と質疑応答が目を引いた。これが受けたのかどうか、日経紙が最近行った世論調査でも59%と予想外に高い支持率を集めた。

外交でも、保守派の御曹司のように言われながら、中韓訪問を訪米より先に行った安倍前首相とは反対に、媚中派と陰口をたたかれているにもかかわらず、定石通り訪米を優先させるようだ(そんなことは当たり前のことで、前首相が突拍子も無かっただけのことだが...)。新首相には、これまでの所手堅さが感じられる。安定感を期待すると言っている人が多かったようにも思える街角の声をしっかり意識していると言うことなのだろう。

ただし、財政赤字問題には記者会見で一言も触れなかった。これは由々しきことだ。単年度の財政赤字に30兆円の天井を設けて、財政再建に当たることを公約に掲げたのは小泉元首相であった。お陰で19年度の財政赤字は一般会計で約25兆円まで改善したが、巨額の財政赤字を毎年垂れ流している事実はほとんど変わっていない。英国民はMrs.Thatcherの下で10年間がんばって、財政を黒字にまで改善させた。日本人は、5年で我慢が効かなくなったらしい。思うに、まともな大人の大部分は、自分たちの生活水準は少々下げてでも、将来を担う子供たちに借金を遺すようなことは回避したいと、一人一人の段階では、そう考えているに違いない。

しかし、財政再建よりは「生活が第一」と主張する民主党に乗せられてしまった。与党を構成する公明党も、財政再建より「生活が第一」に宗旨替えで基礎収支の均衡達成を先延ばししたいと言い出した。国全体としての方向は、将来の子供たちの借金をさらに増やしてでも、刹那の「生活が第一」と言うことなのだろうか。参院選挙で現政権が大敗した真の要因は、格差問題そのもの、年金問題そのものではなくて、安倍前首相その人にあった。その証拠に、もし、参院選を小泉元首相で戦っていたら結果がどうなっていたかを想像して見れば良い。財政再建の途上で、安倍政権のようなひどい内閣が登場し、格差是正の大義名分で財政再建が先延ばしされつつあるのは、我が国にとって実に不幸なことだ。

大いに栄えた国も、外敵の軍事攻撃と財政の破綻によって滅亡する。国民の生命と財産を守ることが国家の本源的な存在理由である。その原理原則を分からずに「生活が第一」で本当に良いものなのか。国家が滅んでしまったら、生活も福祉も一旦無くなるのである。そんなことも想像できないようでは、日本人と日本の未来は真っ暗と言わざるを得ない。

http://www.kh-web.org/fin/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラーゼフォン-その3-

安倍首相辞任に伴う総裁選を伝える報道の中で、郵政公社民営化に反対して自民党を離党した城内実前衆議院議員の活動が少しだけとりあげられていた。悪評高かった人権法案を平沼赳夫氏らとともに阻止し安倍氏の信頼も厚かったにもかかわらず、自らの信じるところを貫いて小泉首相の大方針に反旗を翻し、自民党公認を得てやってきた落下傘候補の片山さつきに惜敗した城内さんだが、わずか一年で内政を取り巻く風の流れは全く変わってしまった。吹く風の方向がどのように変わろうとも、超然とした姿勢を貫き、「復党などもうどうでも良い」と言い切る同氏。この人こそ国政に携ってしかるべき人だったと思い知らされた。横浜の中田市長と言い、城内さんと言い、若輩であろうがなかろうが、本物を見出して、指導者たる仕事をしてもらわないと日本はもうもたない。福田氏も麻生氏も悪くはない(と信じたい)のだが、議論はこの国が抱える核心の問題に踏み込んでいないような気がしてならない。

Rahxephon「最終楽章」まで見終わりました。全然悪くないんですが、あのEurekaを作ったBONESのRobot Animeとして期待して見ただけに、期待はずれでした。私は、正直失敗作だと敢えて結論付けました。全て監督を務めた出渕裕氏の才能不足が原因と思われます。以下論点を挙げて行きたいと思います。

この作品は、出渕監督が何と言おうが、Evangelionを強く意識して作られた作品であることは、どこのAnime Fanが見ても明白です。そして、最終楽章に至る展開は、散々謎をばら撒いておいて収拾がつかなくなってしまったEvangelionに比べ、ちゃんとまとまっています。おまけに、Happy Endです。庵野秀明に物語ってのはこうやってまとめるのさと言っているようですが、Evaに比べて成功している点は恐らくこの一点に尽きるのではないかと思うほどです。母親である碇ゆいの魂が宿っているEvangelion初号機に乗り、Evangelionの操縦席は母親の子宮内の羊水のようなもので満たされ、14歳の碇シンジは母親のCloneとも思われる人造人間綾波レイとも微妙な関係にあると言うのがEvangelionです。それに比べ、3歳年長とは言え、神名綾人は自分を育ててくれたMulianでもある母親を当初から敵と見なし、母親の許から飛び立ち、最終的に他人である紫東遙と結ばれる、非常に健全です。これはあるBlogを読んでいて、正しい指摘だと思った点です。紫東遙は確かに好い女で、個人的には最高のHeroin像ですが、好みの問題なのでここではこれ以上論じません。

この作品の最大の欠点は、最終楽章をまとめる為に、細部で非常に無理のある展開になっている点が数々目に付くことです。まず、物語の主題の一つであり、Endingにも出てきていた主人公綾人の描いている海のかなたを臨む後姿の少女。これが誰かと言う問題が遙と綾人の恋物語においても最後まで明かされずに引っ張られております。しかし、見たところ、着ているものなどからして、この少女はどう見てもイシュトリ美嶋玲香です。そして、Muによって記憶を操作された綾人の潜在意識の中にさえ残っていた理想の女性です。イシュトリは綾人の前に何度も姿を現し、彼をRahxephonへと誘い、彼の窮地に現れては彼を救いました。イシュトリとはRahxephonの心が奏者たる綾人の求める心象によって映像化したもの、綾人のそれは実は14歳の時に知り合った初恋の女(ひと)美嶋遙の心象でした。そして、外界とは時空の流れを遮断された東京Jupiterの中で17歳になった綾人は、Jupiter侵攻作戦に参加した遙(母親の再婚で苗字が紫東に変わっていた)に導かれて、Jupiterを脱出します。この時遙は外界で既に29歳になっていました。しかし、いくら記憶を操作されていたとはいえ、その操作された記憶の中でさえ生き続けていた女性と遙が同一人物であることに気が付かないという設定は、どう考えてもおかしいです。「おばはんだけど誰かに似ている」くらいは普通思うでしょ。ましてや、TERRAに来てから、東京Jupiterが外界から遮断された異次元空間で、時間の進行が外界に比べて遅いこと理解し、自分の実年齢が29歳と言うことが分かって、遙のことに気づかないのはどうかしている。絵も美嶋玲香と紫東遙は敢えてあまり似せていないが、14歳から29歳に成長しただけでこんなに見分けが付かなくなるほど女は顔が変わるかね。この前提がないと外界と東京Jupiterの中に引き裂かれた二人の悲恋物語が成立しないのだが、この前提には、遙がかなり大掛かりな美容整形でもしていると考えない限り、いかにも無理がある設定なのだ。

次に、EurekaのBONESらしからぬ欠陥と思う点は、登場人物で存在感のない人が結構いること。TERRA本部の五味と四方田は結構出てくる割に存在感のない登場人物の代表格でしょう。この物語に何で出ているのか理由が全然伝わってこない。如月樹と小夜子も物語の中で重要な役割を演じているが、考えてみると良く分からない登場人物たちです。樹と綾人はバーベム財団がMulianである久遠の遺伝子提供を受けて人工的に作り出したMulianの因子を持った人間の双子だったようですが、第15楽章「子供たちの夜」で財団に特別に奏者として育てられていた子供たちの中に樹がいて綾人がいなかったのは何故なんだろう。小夜子も財団が作り出したClone人間の一人だったことが最後に示唆されています。しかし、何で最愛の男とProgramされていた樹を刺殺してしまったのか、全然分かりませんでした。結局、この物語はよく出来ているように見えてきめ細かい論理が欠如しているのです。主人公が元の身体に戻ったとき、素っ裸にならず身に着けていたものも元通りなのを全然説明できていない昔の変身ものと同じ欠陥を持つように思えるのです。

そう言う甘さが出ているのが、一応成功裡に終わっている最終楽章でも言えます。Mulianとの戦いや綾人の真正Rahxephonへの覚醒で主要人物の八雲エルフィを始め大勢の人間を死なせておいて、世界が調律されたのだからと、綾人はどうしたのか人間に戻ることができ、Raxephonに飛行艇ごとぶっ飛ばされたはずの遙も生き残っていて綾人とめでたく結ばれ、二人の間には久遠の生まれ変わりかと思われる娘が出来ていました。この結末の落差の激しさは、何か不自然と思うのは果たして小生だけなんでしょうか。Eurekaの最終回の「月に映った相合傘」も変といえば変だが、Eurekaにはあんなものさえ視聴者に納得させてしまう勢いというものがあったんだ。Rahxephonの最終楽章は大勢人の命を奪っておいて、都合の良い人だけが都合の良い形で生き残り、何事もなかったかのように幸せな家庭を営んでいるという、ちょっとひねくれたFanには不自然さだけが残るHappy Endなんであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

安倍首相辞任に思う

昨日辺りから、次期首相候補の本命は麻生太郎氏ではなく、多数の派閥からの支持取りつけに成功しつつある福田氏ということのようだ。男の真価は見てくれではない事を安倍首相が証明して見せたが、一国の顔としてはさえないおっさんだな。この劣勢を撥ね返して首相の座を掴み取らないと麻生氏も本物ではないと言うことなんだろう。

安倍首相の言う「美しい国」というお題目について、少々考えてみた。何とも訳の分からない言葉で、前首相の「構造改革なくして成長なし」と言うのに比べると迫力が足りなさ過ぎる。「美しい国」が具体的には何を意味していたのか、小生なりに考えてみると、それは失われつつある倫理観や道徳観の復興と言うことなのではないかと言うことに行き着いた。「恥を知る文化の復興」と言い換えても良い。「恥を知る文化の復興」と言い換えてくれれば、「構造改革なくして...」位の分かりやすさは保てたと思う。

お題目が分かり易いと、行動基準も明確だ。柳沢伯夫の「女性は産む機械」発言は全くの時代錯誤発言であったかもしれないが、これが倫理に反することかと言えば、それは少し違うと思うし、金に絡んで灰色な処理をしていた大臣たちは、「知らなかった、秘書が勝手にやった、単なる誤記だった。」とどんな言い訳を言おうが、「恥を知れ」で終わりの倫理に反することだったのだ。だから、厚生労働相を辞めさせなかったのは正しかったが、それ以外は失敗だったと言うことができる。

結局「戦後体制の精算」とは、「儲かれば勝ち」主義にあまりにも偏った価値観を是正することであり、「恥を知るの文化の復興」はとても有効な手段のように思える。国家の最終目標は、「国民の安全と財産」を守ることだ。このことに異論を唱える人はごく少数だと思う。言い換えると富国強兵だが、戦後の日本は、米国に敗戦したために強兵の部分は専ら米国に頼り、富国のみが抜きん出た絶対的な価値であるかのようになった。これが所謂「平和ボケ」だが、Bubble時代とその崩壊は精神の荒廃の進行に拍車をかけ、小泉改革は新古典派経済学的な貧富の差を必然的にもたらす政策でもあったため、治安の悪化は外国人労働者の流入とも相俟って当然のごとく進行した。

安全の核心部分を他国に委ねている現状で、憲法第9条論議など、細かい論点は挙げればきりがないが、自国の安全部分の核心を委ねている同盟国に協力しないなどと言う選択は在り得ないし、「恥を知る文化の復興」の文脈で言えば、「小澤の言っていることは卑怯であり、人間としての恥を知らない行為だ。」の一言で終わる議論だ。さらに言えば、自国の安全の核心部分を他国に委ねて独立国でございますと称している人間は、「恥を知らない人間」の集団と言われても仕方がない。

今の若い奴と言うが、今の若者は結構しっかりしている。今日も恥を知らない人たちを見かけたがこれらは、50代後半から60代のおっさんとおばさんだ。街の店舗で顧客の列があるのに、これを無視して割り込んでいたのは、たまたま年恰好からこれくらいのおっさんとおばさんたちだった。店員に注意されると逆切れする馬鹿までいる。この年代は戦後の第一世代ではないかと思うが、非常に示唆的だ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

レッドガーデン

マヨネーズを製造している会社は、とは言っても結局QPか味の素なのだろうが、あの昔から全く進歩のない容器を何とかできないものだろうか。最近の分別ごみの細分化は、ちょっと行き過ぎだと思うが、ここ数年、我が家周辺ではほとんどのゴミが燃やせない不燃ごみ側に分別されるようになった。なったのは良いのだが、食べ物がこびりついているのにうまく洗えないような容器、マヨネーズ容器などが典型で、あれを本当に焼かないで処分しているのかどうも解せない。結局住民には分別させておいて、皆一緒に焼却しているならある意味話は分かるのだが... 膨大な不燃ごみはどう処分されているのか依然謎だが、それは横に置いて、中身を使い切ってかつ洗える容器を開発してもらいたい。結局昔風の硝子容器に入ったマヨが容器の再利用もできて一番なのだろうか。

さて、真夏の怪談のような、荒唐無稽で少々おっかないAnime、“Red Garden”をGyaOで最終回まで見ました。実際のところは怪談どころか、今年の3月までで、秋口から冬場の寒い時期TV朝日で放映されていたようだ。深夜放映される超B級Animeを作らせたら右に出る者がいないGonzoだけあって、なかなか面白く、数日間はまってしまった。Gonzo作品の特徴は、昨年の“Witchblade”もそうだったが、登場人物の個性が豊かに描かれ、人間たちが絡み合い、紡ぎ出す物語の展開が実に面白く、泣かせる場面も結構あって、すっかり引き込まれてしまいます。Red Gardenの舞台は、New York、Manhattan、そして、Manhattanにコバンザメのように寄り添って位置するRoosevelt Island。そこのとある白人ばかりの高校に通う個性の異なる4人の女子高生、Kate Ashley、Rose Sheedy、Clair Forrest、Rachel Benningが主人公でした。彼女たちは、ある夜何者かによって殺される。しかし、死体は謎の集団アニムスたちによって回収され、彼女たちはアニムスとして生き返る。仮の生命を与えられた彼女たちは、生きたいという意志を捨てるとアニムスの肉体は灰燼に帰してしまい、本当に死んでしまうと言う恐怖抱きながら、敵ドロルとの果てしない戦いに身を委ねていくという、訳の分からない設定で、物語は展開していく。

絵についても、最近の深夜Animeは本当に手を抜かずに綺麗に仕上げているのに感心させられるような出来と言えると思った。特に、番組打ち切りで詰め込みすぎと言われている最終回の終幕場面、戦場と化してすっかり荒れ果てたRoosevelt Island、しかし、最期まで優しかったLiseの魂を鎮めるかのように一瞬にして花に覆われ、その花々に抱かれ静かに眠る4人。Witchもそうだったが、Gonzoは悲劇の結末を綺麗にまとめるのがうまい。綺麗なので、主人公が消えてしまったり、記憶を失くしたりと言う悲劇が、辛うじて救われた思いになれる。Red Gardenでは、4人は生き残ったものの、元の肉体には戻れず、記憶も失うと言う設定でどちらかと言えば悲劇の部類に属するのだろう。アニムスの肉体は半永久的に生き続ける、と言うことから、未来のManhattanを舞台にしたOVA“Dead Girls”にも話はつながって行く素地がここにある。今回のGyaOによる一挙放映は、今月発売されたそのOVAの宣伝を狙うと言う明確な目的があったようだ。それにしても、Roosevelt島と学校を破壊しつくすような戦闘を繰り広げた後で島が花に覆い尽くされていた。こんな事件の渦中にあって、4人は警察に連行されずに済むものなんだろうか。細部を論理的に詰めて考えてはいけない作品なんですね。

今回強く感じたことは、Red Gardenを実写にすると、A級かB級かは別として、そのままHollywood製映画ができそうだと言うことだ。確かに、Hollywoodは、“Last Samurai”や“Sayuri”を製作したが、はたして米国人や今や日本Animeの一大視聴地域となった欧州の人々が、東京を舞台に日本人の物語を、GonzoがRed Gardenでやったように作れるか、答は「否」じゃなかろうか。日本のAnimatorがNew York市を舞台にして、米国人女子高生を主人公にしたAnimeを敢えて作ること自体に意味があるかどうかは別として、何でもできてしまう日本のAnimeの底力に不可能と言う文字は無いのですね。仄聞するに、Gonzoは当初から世界市場狙いとも聞く。Gonzo作品には、ドストエフスキーや黒澤作品のような作品の底流に流れる巨大な主題と言うようなものの匂いは微塵もしないが、この辺りがBONESとは対極に位置するAnimatorと言う感じがします。しかし、結構癖になると言うか嵌るものを持っている好い製作会社の一つだと個人的には思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

風林火山は大河最高傑作

今年の大河「風林火山」の出来が良いという話、にもかかわらずこの程度の視聴率に留まっているのが信じられないと言った類の話は、Webでよく目にします。かく言う私も後は長尾景虎を演ずるGACKTさんの出来次第と思っていたのです。良いですね、GACKTさんも。と言うより、ここまで来ると、この作品はもはや好循環の波動に支配されていて、余程のことがない限り、悪くなりようがないのかもしれません。

武田晴信が、今風の経営者も好む孫子から取った「風林火山」を旗印に用いたように、まあ、現代人にも分かりやすい、勝つ戦略、論理的な経営を目指して組織作りを行ったのに対して、景虎は自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じた、ほとんど常人には理解し難いぶっ飛んだ武将でした。それにもかかわらず、正に軍神のごとき強さを見せ、十歳余りも年上の晴信と組織力の武田軍団を敵に回して一歩も引かないどころか、むしろ優勢に戦を遂行した節さえ有り、常識的には当時の最強軍団に最強の主君を戴いた武田家の天下統一を阻んだ最大の要因と成りました。軍師山本勘助にとっても、越後の景虎の天才は正に計算外のことだったのでしょう。

その並みの武将の枠には納まらない景虎の役をGACKTさんが期待通りに演じている感じです。天才は一歩違えると狂気の世界ですから、そんな剃刀のように鋭い若い景虎の天才と狂気、そして、意外にも器の大きさを持った不可思議な人物像を上手く演じていると思います。そして、その景虎が三顧の礼を持って迎え入れた緒方拳さん演じる宇佐美定満は、人生の全てをかけて景虎の父で梟雄とさえ言われた長尾為景に反旗を翻し、守護代として勢力を拡大の上昇気流に乗っていた為景にも決して屈しなかった人物で、恐らく、景虎同様に激しかった性格が、経験を積んで酸いも甘いも知り尽くしいったような経歴の人物なのでしょう。景虎には正に必要不可欠の側近と言えます。

「風林火山」には、今後も期待しますが、逆に悪循環に陥ってしまったように見えるのが安倍政権です。安倍首相の人事能力の欠如は、もはや致命的欠陥と言わざるを得ない状況です。人事で党の旧体質をぶち壊し、次第に党を掌握していった前首相とは人事の一点で雲泥の差が有り、恐らく、人事能力の欠如した現首相が内閣改造という人事で悪循環を断ち切ることを期待するのは、雀に鴻鵠のごとく飛べと頼むようなものなのでしょう。政権発足当初は多少とも期待していただけに寂しい限りです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラーゼフォン-その1-

今週は、暑かった。しのぎ易い日が多かった7月から様変わりの8月になった。しかし、こう言う猛暑がないとやはり日本の夏じゃないな。9月くらいまで残暑が厳しいと好いと個人的には思っている。

「エウレカセブン」を製作したBONESは、骨のあるAnimatorを志すと言うところから社名をつけたのだそうだ。エウレカに出会ったのが去年の9月だったが、エウレカに先行してBONESが2001年に製作したRobot Anime作品がこの「ラーゼフォン」“Rahxephon”である。エウレカのBONESが作ったとなれば、是非見てみたいとずっと思っていたところ、GyaOで第6楽章まで放映されることになり、DVDを買う前のお試し視聴をしてみました。

良いです。BONESの作品は、物語として面白い、絵と色が私の感性に合う、上品。そして、Rahxephonについては音楽を作品の重要な主題の一つに据えているらしく、西欧のClassic音楽などが作品場面の随所に使われていてすばらしい。逆に言うと、欧州Classic音楽を流しても違和感のない気品のあるAnimeをBONESは作っていると言うことができるのだと思いました。これらの音が全て誰のなんと言う作品とそらんじられると格好よくて真のRahxephon maniaなんですが、中途半端なClassic好きに過ぎない私には今のところ無理な相談でした。

それにしても、BONESは良いAnimatorです。良い製作者の良い作品には、各社の個性が良かれ悪しかれにじみ出てくるようです。BONESの作品には、気骨、比較的Liberalな登場人物の傾向、日本を舞台にしていても無国籍な感じを受ける、と言うか良い意味でのFictionの香りが高い。Fiction、つまり、BONES作品は良質のImaginationの産物と言うことに尽きると思います。その点で、XEBECの「蒼穹のファフナー」も好きな作品なのですが、Fafnerには独逸・北欧神話から借用した概念やら名称が多数取り込まれているにもかかわらず、作品が醸し出す香りは多分に日本的なものになっています。私は、西洋のClassic音楽も演歌Rockもどちらも良い作品は好きです。

そして、BONES作品の良さとして今回気が付いた点は、雲、風、火、水もそうかな...自然現象の描き方の上手さが際立っている。特に雲を描くのが上手い人がいるみたいですね。エウレカ第26話に出てくる七色雲海をふと想起させられました。また、風を使うのが上手いのは宮崎のジブリですが、それに勝るとも劣らないのがBONESかもしれません。とにかく、夏の暑さを満喫しながら、冷えた旨いBeerと面白いAnimeは、最高です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アジア杯対豪州戦の感想

いかにも蒸し暑そうなハノイで行われたアジア杯の準々決勝をTVで観戦した。終始押し気味で試合の主導権を握っていた日本だが、Corner Kickから豪州に1点を先制され、その後すぐに高原のGoalで追いついた。豪州は、一人退場で10人での戦いを余儀なくされたが、1対1のまま延長戦に突入。延長戦でも豪州の粘り腰で決着がつかず、PK戦にもつれ込み、またもや川口がPK戦での勝負強さを発揮して、辛くも豪州を振り切った。

終始試合の主導権を握っていたように見えた日本だが、延長戦を見ている時にはPK戦になって敗北するかもしれないなと思った。延長戦では圧倒的に優位に立っていた日本だが、勝ちたい気持ちがより強い方に勝利の女神が微笑むと言う状況下であるにもかかわらず、どうも日本選手には勝利への執念が少し欠けているのではないかと思えた。PK戦狙いで守っているだけの豪州の執念が勝っていたとも思えないが。

「運」の要素があまりにも強いPK戦そのものに否定的なオシム(Ivan Osim)監督は、「PK戦は試合で劣勢だった方に軍配が上がることが多い」と試合後語っていた。確かに、優勢だったTeamは、試合の主導権を握っていたことに心のどこかで満足してしまっている選手もいるだろうし、それにもかかわらず勝ちきれなかったことに否定的な気持ちでPK戦に臨んでしまう選手も出てくる可能性がある。一方、劣勢だった方は、失うものは何もないと言う気持ちで思い切って球を蹴ることができるのだろう。

しかしだ、日本人の精神構造には、もう一つ違った要素があるのではないかと思えたのが昨晩のPK戦だった。オシム監督の挙げる日本人の最大の欠点の一つに責任を取ろうとしないと言う批判がある。これは、おそらく西洋人の文化に比べると、個が集団の中に埋没していて強烈な自我を形成しない日本文化の伝統に根ざした傾向なのだろうとさえ思えるのだが、PK戦のような状況、すなわち徹底的に個の戦いの場、誰が失敗し、誰の責任で負けたかあまりにくっきりと浮かび上がる状況になると事情が少し違ってくるのではないかと思うのだ。個の責任を徹底的には追及せず、自己犠牲の精神が強い日本人の特性から、剣道や体操などの個人競技の団体戦のような様相になり、本番でなかなか力を出し切れないと言われる日本人だが意外にPK戦は強いと言うことになるのかもしれない。もちろん、これまで多くの修羅場を経験して代表を救ってきた川口主将の存在が大きいのだろうが。

ところで、教えられた戦術を忠実に実行できると言う段階から、更に高次元へと進まなければならない段階にさしかかっていると思われる日本サッカーは、オシム監督と言う名伯楽を得たのではなかろうか。多分そうなんだろう。前監督は、次の段階を一人一人がより高次元の領域に到達することによって発揮される自由自在なPlay Styleを思い描いていたようだが、そのやり方は、必ずしも日本人選手の特性に合致しているかどうかは実証されなかった。一歩譲って仮に合致していたとしても、それは只のBrazilの物真似にすぎず、物真似で本家を超えるのはとてつもなく難しいことだっただろう。

オシム語録には、日本人の特徴、文化や伝統をも踏まえた、どのような状況にも対処して変化できる代表を目指すというような発言があり、その方向性は間違いではないと思う。所詮は母国Yugoslavia代表1990年W杯伊大会8位までの実績だが、その後同国は内戦状態となり、Soccerどころではなかった。その後も内戦などなくオシムがやっていれば...の話には事欠かないようだ。

「日本人はシステム論議が好きらしいが、システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。システムの奴隷になってはいけないのだ。」(2003-05-15 2003年5月15日発売 Number575誌上にて)

「日本人は、海外のまねをするのではなく、自分たちの持っている特長をもっと生かすべきだね。」(2003-06-13 インタビューの中で、「Jリーグについてどう感じますか」の問いに)

「私には、理想とするサッカーはない。「こういうチーム」と決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」(2003-06-13 インタビューの中で、「どんなチームを作りたいですか。」の問いに)

「日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点だ。体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくこともできる。日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさねば、もったいない。体の大小や、肌の色など関係ない。知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできる。だからサッカーは、おもしろいのだ。」(2004-11-16 朝日新聞朝刊「オシムの提言」より(2))

「我々の国民は過小評価する癖があり、日本サッカーについても"あれは子供のプレーだ"と言うだろう。けれども日本を経験した選手が誠実になれば、どんなプレーをしていたか率直に語るはずだ。日本でプレーすることはそうそう容易いことではないとね。残念ながら体格面が日本人の大きなハンディキャップだ。世界のサッカーは高さへと向かっているが、日本で190cmの選手を持つことは決してない。体格の良い選手を持っているヨーロッパならば、次の解決方法に手を伸ばすことができる。"美しいサッカーができなくとも、パワーによるサッカーは可能だ"というもの。日本はそんな立場にない。けれども日本人は素晴らしい面を持っている。非常に速いスピード、尋常ではない闘争心、サッカーに必要な多くの感覚や素晴らしい個人技術といったもの。それら全ての特徴を集めれば非常に"強い武器"となる。」(2003-06-01 Sportske Novosti紙)

「日本人は伝統的に責任を他人を投げてしまうことに慣れてしまっている。工場ならそれでも機能するかもしれない。全ての責任を取締役に押し付ければいいんだからね。けれどもサッカーでそれは通らない。サッカーでは上司も労働者も全員が一緒にいるわけだから。」(2003-06-01 Sportske Novosti紙)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

参院選挙2007 始まる

2007年夏の参議院議員選挙の幕が切って落とされた。年金記録問題は民主党にとって久々の当たり案件になり、お陰で、自民党安倍政権にとっては厳しい選挙戦になりそうだ。しかし、不可思議なほどに自民党に危機感が感じられない。赤城農相の事務所問題などとび出すに及んで、安倍首相は、文字通り亡くなった松岡前農相に取って代われる人物をわざわざ指名したとしか思えない。こう言う問題の処理の仕方も相変わらず全く進歩と言うものが見られない。

もちろん、立候補した個々の候補者たちは、必死の選挙戦を繰り広げているに違いない。しかし、自民党と言う政党単位で見たときに、今の同党の態度は、とても惨敗するかもしれない危機感を持って戦っている与党と言う感じが全然しないのは何故なんだろう。何とも、面妖なのである。

今朝も、駅前では地元の共産党の中年政治家が小柄な老人のビラ配りを一人連れて街頭演説を行っていた。共産党は支持しないが、こう言う地道な活動は立派だと思う。守勢に回っている自民党は、何故こう言う活動をしないのだろうか、不思議だ。それにしても、共産党の活動員は、今や爺さんが目に付く。左翼も高齢化の波に晒されているのに違いない。考えてみれば、ソビエトが崩壊して10年以上も経つ。その間若い人で社会主義、共産主義に興味を持つのは、よほどの変わり者だけだったのだろう。共産党の老齢化は急速に進んでいると見て良いのではなかろうか。

参院選の期間は、結構長いのが特徴だが、果たして結果はどうなるか。自民党が負けそうなのは判ったが、問題はどれくらい負けるかであり、また、民主党がどの位勝てるかだ。より大事なことは、若い人たちが、政治に何を望み、どの政党を選択するのかと言う事なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

給湯設備と床暖房

昔、ガス湯沸かし器と言えば、パロマと言う時代もあったが、人殺し暖房機を販売していたことが広く知れ亘ってしまった同社に代わって、近年給湯器市場を席巻している観のある会社がある。5943ノーリツだ。株価2320円で、PER28.74、PBR1.3、自己資本比率60%。さすがに少々割高感があるが、PBR1割れは、どう見ても買いだ。

我が家の給湯器もノーリツ製だが、その定期点検の日、やってきた東京ガスの作業員と立ち話をしていて、面白いことを聞いた。ノーリツの給湯器が沸かすお湯が提供される風呂場の通風設備(浴室乾燥暖房機)は、松下電器製、まっ、これは分かる。ところが、床暖房は、何と、住友商事と東京ガスの共同開発した技術を使っていると言うことだった。なんでも住友商事は、それまで床暖房に使われていた銅製の配管に代わる特殊樹脂を開発、これが床暖房用の配管として20年程度の耐久性を有し、役所の許認可も下りた。この特殊樹脂配管によって、工事が圧倒的に速くかつ割安にできるようになったのがこの十年にもならない最近の出来事なのだそうだ。床暖房の普及は、一度でもその味を占めた人たちが益々それを欲しがる傾向に拍車をかけ、大量受注は単価の下落をもたらし、更に普及に加速がつくと言う好循環につながったらしい。ちなみに、この合成樹脂配管方式は、旧来の銅製を敷き詰める方式の一畳分の費用でそこそこの居間全体にいける程度の画期的な値下げ効果をもたらしたようだ。

しかし、これを開発したのが、住友商事であると言う事実に、2度びっくりだ。商社不要論は、30年以上出ては消える議論だったが、商社は、我が国が貿易立国として立とうとした時には貿易を支え、Bubbleの時には不動産や金融に手を染め、傷ついても傷ついても立ち上がり、今、起業やVentureの時代には、こんなことまでやっているのかと、そのたくましさにただただ脱帽してしまった。8053住商2300円、PER14.38、PBR2.10。最近のBRICSの台頭に伴う重厚長大の復活に負うところも大きいと思われるが、総合商社も完全復活は、それだけじゃないな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幕末機関説 いろはにほへと

数日は出かけられれば、と思っていた大型連休後半だったが、社労士事務指定講習の第三回目提出課題の仕上げに費やしてしまった。とは言っても、時間ばかりかかる作業の合間、水泳に行ったり、Animeを見たりして気分転換は盛んに試みていた。

Sunriseは業界の大企業だからなのか、傑作も作るが駄作もつくる。USENのPC TV“GyaO”独占配信という目新しい方式を試みた「幕末機関説 いろはにほへと」でしたが、残念ながら見るに値しない駄作と断定したい。幕末の歴史考証をしっかりやって、個人的には買っていた大橋誉志光監督も関わっていたので、多少の期待を持って見ていたのでしたが、最初から最後まで駄目でした。映像的に美しいなと思うような場面も、やや見られましたが、褒められた点は唯一そんなところで、最後まで、物語の根幹にあるはずの「覇者の首」が我が国の歴史に及ぼしてきた影響、それを阻止するための主人公秋月と「月涙刀」の人間性や意味付けが伝わってこなかった。そのため、主人公が動いても、なんでそう行動したのか、全然説得力もなく、訳が分からないうちに終わってしまった。同じSunriseでも、08MS小隊と見比べてみれば明らかだが、登場人物の性格や個性がはっきりと伝わってくる08に比べ、この作品の登場人物は、皆人形かRobotのようで感情移入など全くできなかった。だから、感動など微塵もない作品に成り下がっている。

駄作の度合いは、主人公の考えていることが分からないと言う点で、去年TBSが放映したIGの「Blood+」程度か? Blood+は、序盤から中盤にかけて、それ程悪い作品とは思わなかったが、終盤あれ程完全に崩壊してしまった作品というのも珍しい。Production IGもタツノコの系譜のようで、代表作は何と言っても、と言うか、IGと言えば、「攻殻機動隊」なんだがな。

しかし、Sunriseは、更に上を行く「超」や「超弩級」の付く駄作を作っていて、それが、Gundamの名を冠した「超弩級」駄作、「Seed Destiny」である。この作品は、第一に物語構成が完全に破綻しており、登場人物の人間性もほとんど意味不明、その上、この作品に関係したバンダイ関係者の心根が非常に薄汚く、Original Gundamに登場したMSのZaku、GoufおよびDomなどが意味もなく出ては消えて行く。団塊Jr.辺りを中核にしたOriginal Gundam Fanに媚びて、ガンプラの在庫一層を計ろうとの魂胆が見え見えなのである。そもそもこう言う薄汚い作品を公共の電波に乗せてはいけないし、Bandai Visualは、北米を中心に外国で放映したり、DVDを売ったりしているが、この作品を日本AnimeのGundamの名を冠して売ることは、はっきり言って日本の恥である。この作品が、日本のRobot Anime史上永く語り継がれるであろう名作「交響詩篇エウレカセブン」と同じTBS系列で、しかも、時期的にも一部重なった状況で放映されていたと言うのは、ほとんど信じられない事実と言う指摘があるが、本当にその通りだ。名作と言うものは、山のような駄作の存在があってこそ、その中から生まれてくるものと言うのも真実だが、やはり、見る側が確かな批評力を持っていないと「Seed Destiny」のような視聴者を馬鹿にした、今の日本Animeの水準からして生まれるはずもないような超弩級の駄作が生まれて来てしまうのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

松坂初黒星の理由

今週は、日曜日に何故かPCのDisplayが突然うんともすんとも言わなくなってしまった。取扱説明書を読むと、どうも故障のようだ。昨年の今頃、Amazonで買ったIO-Data社の19inchで、一年間保証を数日超えている。何と幸運なんだ、とあきれてFaxで問い合わせたところ、不具合が多発している欠陥品で無料修理を行っていると言う返事が翌日届いた。正直に製品の不具合を認め、誠意をもって対応してくれるのはありがたいことだ。しかし、この会社が本気で製品の価値を顧客に提供し、社会に貢献する気があるのなら、もう少し、不具合発生商品の情報提供に努力してもらいたいものだ。どちらかと言えば隠蔽体質が強い日本企業、Palomaや不二家など即時退場企業は論外だが、全般的にもう一歩踏み込んだ努力が必要ではないか。

ちなみに、不具合のあったDisplayは、LCD194VW、19は19inch、Wは白という製品特性を表しているようで、全般的にLDC4Vおよび4Yに属する型の製品の一部に不具合が見つかったようだ。

さて、先週は、Redsox松坂投手対Marinersイチローの対決で大リーグが大いに盛り上がっていた。私自身も就業前にちらりとイチローの第二打席を見ることができた。松坂の投球は普通に見えたが、ややイチローを意識しすぎたのかもしれない。それが城島に二安打された理由? 敗戦投手になってしまった一番の理由は、MarinersのFelix Hernandezが良すぎた。何せRedsoxに一安打しか許さなかったのだから。これで、思い出すのは、野茂が渡米した95年頃、New YorkでMetsとの対戦。野茂登板の夜、在米の日本人Fanが大挙してMets Shea Stadiumに集まった。当時Metsは、若手投手を盛んに登用して、Team再建を試みていた時期で、Minorから上がってきたJ.Islinghousenと言う、昨年まで大した実績もない投手が相手だった。しかし、急速は見た目にも野茂を上回っており、結果は、野茂の負けだったか勝ち負けつかずでの降板だったかで、相手投手の好投が目立った試合だった。

今回の松坂初黒星で確信したことは、米国人(Hernandezは名前からすると、中南米系のようなので、彼等も含めた広義の米国人)はやはり狩猟民族系の文化だと言うことだ。激しいMajorへの競争を勝ち抜いてきた若手の中には、今回のような大舞台で主役を食ってやろうと言う若者、そして実際にここぞと言うところで最高の力を出し切る若者がそこそこは存在すると言う事実である。おそらく今の角界でそれに近い気持ちで相撲を取って、実際結果を出しているのは、日本人では稀勢の里くらいじゃないかと思う。正直贔屓の力士ではないのですが。蒙古人は、白鵬にしても安馬にしても、朝青龍とやるときはそういう気持ちでやっているのが、伝わってくる。

問題は、こう言った本番に強い狩猟民族系の精神構造が持続性においてやや弱い点で、Islinghousenもその後Metsの大エースになってはいないし、その後の大活躍の話は、寡聞にして知らない。大体、Metsと言うTeamは、DogersのBlueとGiantsのBlack & OrangeをTeam Colourとして生まれた根強いFan層(Anti-Yankeesとしての)を持つTeamではあるが、ころころ方針が変わる、どこか軽い印象が強いTeamで、個人的にはあまり好きになれない。

と話が脇道に逸れてしまったが、松坂がBostonのエースになるのは、ほぼ確実と言って良く、問題は、並みのエースで終わるかRoger Clemenseを継ぐ大エースにまでなれるかと言うことだろう。Redsox生え抜きだったClemenseは、Rocketと呼ばれる剛速球で長くBostonのエースとして君臨したが、World ChanpionshipをBostonに持ち帰ることはできず、彼自身のWorld Series制覇は、晩年Yankeesに移籍してからだった(偉大なClemenseの場合、投手としての絶頂期が2山くらいあって、投手としての晩年と思われた時期から随分長く現役を続行して、実績も残した)。現在のBostonでは、投手陣の親分格はなんと言ってもCurtis Schillingなんだろうが、彼の実績もちょっと調べただけでもすごいものだ。こう言う人が身近に目標として居てくれれば、松坂の大エースも夢ではないな。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

目標を常に百点に置くこと

今日近所の桜の名所をJoggingしたところ、昨晩の強風にもかかわらず、正に満開、百点満点の桜花かなだった。先週は、ある公認会計士の先生の簡単な講義を聴講した。要は、目標を掲げるならば常に高い目標を掲げよ、と言うことだったのだが、今後の生き方に大いに参考になったので、Blogに要点をまとめておく。

公認会計士にしても社労士にしても、士業などの資格試験において、これだけ取れれば合格圏というおおよその基準点がある。社労士で言えば、午前中の選択式では40点中25点前後、午後の択一は70点中、43点前後と言ったところなので、6割ちょっとでほぼ合格圏と考えてよいだろう。だから、資格の予備校などでは、基本問題、落としてはいけない問題をしっかり解く。8割以上の人間が誤答を書く難問、珍問、重箱の隅を突付く問題などは捨てろ、と教える。これは、効率的に資格試験に合格するという観点からすると、確かに筋は通っている。現に私自身、そのような効率重視の受験勉強を心掛けた。

しかし、講師はこの考え方を否定する。受験勉強は、試験に合格することだけを目的にすべきではない。第一に、そのような低次元の目標を掲げていると、なかなか合格点にさえ到達しない。第二に、そのような60点が取れる程度の知識では、実務で通用しない。実務では、百点でないものは80点や60点をつけてもらえることはなく、0点なのだ。だから、試験を受けている時から、例えば開業して実務で成功することを目標に掲げなければならない。そうすれば、自ずと百点を取るためにはどうするかと言う観点で勉強するようになり、爆発的に知識と実力が伸びるのだ、と講師は自論を展開した。

この話を聞いて、資格試験になかなか合格できない人、合格しても開業まで漕ぎ着けない、または、開業しても食っていくまでになれない者の問題点が雲が晴れるように明快になった気がした。と同時に自分のこれまでのやり方も反省しなければならないな。受講中の事務指定講習もしっかりとやっているつもりだが、百点にはまだ足りない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モンゴル相撲

本日は、大阪場所千秋楽。

いや、それにしても、朝青龍に続き、白鵬もやりましたね。ここ一番と言う所での、「勝てば何やっても良い戦法」。確かに、初場所にけたぐりまでやるんだから、千代大海に対して立ち会いかわる位朝飯前の朝青龍。こいつに対して、何やったって文句言う人はいないでしょう、と白鵬が考えたのは、無理のないことかもしれない。

しかし、同じ外国人力士でも、Hawaiianたちは、少なくともこういう汚い相撲はしなかった。武蔵丸に至っては、膝の大怪我を押して出てきた貴乃花の膝を敢えて攻めなかったくらいだ。やはり、島国の文化と大陸の文化が育む精神構造の違いなんだろうか。

出典は忘れたが、ある動物が何かの事情で島に隔離されて代を重ねると、象のように無理に進化してでかくなっている動物は小さくなり、逆に鼠のように無理をして小さく進化した動物は大きくなると言う説を読んだことがある。この仮説は、発掘調査などでかなりの程度裏付になる証拠もあるらしい。

動物にこれほどの影響を与える、島と大陸の条件の違いが人間の精神構造に影響を与えないはずがないと思う。島は、外敵からは、陸続きに比べて圧倒的に安全である。しかし、内戦になると、敵から逃げる場所が大陸に比べ、決定的に少ない。だから、敵を殲滅するような決定的な内戦は、でき得る限り避けようと言うような、共存共栄の道を選択する精神構造に大陸に比べてなり易いのかもしれない。これが、相撲のような競技においても汚い手を使って勝っても価値ある勝利とみなされない、誰もが、とりわけ敗れた相手が納得するような正々堂々とした勝ち方をせよ、と言うことにつながっているのだろう。同じ島国でも、英国の場合は、日本のような情緒的な要素よりも、兎に角Ruleを守れと言う面が強調されるが、Fair Playの精神も根っこのところは、島国の文化と言うことで、繋がっているのかもしれない。

それにしても、このまま蒙古人が大相撲を席巻していくと、何でも有り相撲はますます蔓延って行くんだろう。比較的日本人に受けが良かった白鵬も、これでケチが付いた格好で、残った希望の星は小兵ながら真っ向勝負が身上の安馬くらいか。結局は郷土の先輩を見習うんだろうな。妙に同郷同士で手加減することがなく、ガチンコ勝負をするところは、蒙古相撲の良いところだと常々思ってはいる。しかし、朝青龍は、数字的には大横綱に名を連ねることになるんだろうが、人々の記憶からは早々に消えうせる、よそ者、悪役横綱で終わるんだろう。朝青龍を粉々に粉砕する日本人横綱を見たいと心底思うが、最早夢のまた夢と言う感じが一層強まった大阪場所であった。

午前9時30分を回った位だったかと思う。能登半島沖を震源とする強い地震があって、死傷者、建造物の倒壊など多数の被害があった模様だ。東京でも若干の揺れを感じたが中越地震の時ほどではなかった。被害に遭われた方々の安全と迅速な救援、復旧活動を祈るばかりだ。何やらおかしな天候に加え、今度は地震である。今年は、自然の力が外に向かって現れて来る年なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桜はまだかいな

ここ一週間ほど、寒の戻りを通り越して、真冬に逆戻りのような寒さ。これでは、厚手のCoatはとっくに終了して、春物を売っている衣料品関連は、どう考えても商売上がったりだろう。

本日東京は、全国に先駆け開花宣言。上野もちらほら咲き出したらしい。昼隅田川沿いをJoggingがてら、偵察してきたが、こちらは川の寒風に晒されるせいか、例年上野に遅れるようで、まだ一輪もほころんでいなかった。しかし、今日は、好天で多少寒さが緩んだせいか、人出は思ったより多かった。東京の桜は、この週末くらいから徐々に咲き始める感じだろうか。だとすれば、見ごろは来週末くらいかな。

一年後の桜の季節の社会保険労務士開業を目標に、一年間修行してみる事にした。事務指定講習が、7月に修了する予定なので、どうせ登録はその後になる。取敢えず就業規則が作れる社労士と言うここ数箇月の短期的目標を設定して、参考図書を買ったところ、著者の社労士さんは、偶然にもご近所さんだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新世紀エヴァンゲリオン感想

今日は、米軍によって東京が空襲され、多くの民間人の生命が失われた日なんですね。犠牲になった方々のご冥福を祈り、そう遠くない昔、外国の軍隊によって国土を蹂躙された事実を忘れないようにしなければなりません。

さて、新世紀エヴァンゲリオン。英語訳は“Neo Genesis Evangelion”で、Genesis=旧約聖書の創世記、起源、の意味なので、英語訳の方が物語の内容にしっくり来るような気がします。それはさておき、アニメ切手が発売されたことも手伝って、漸く全話鑑賞。論争になった第25話および最終回第26話は、TV版と劇場版の両方で見てみました。確かに、主人公シンジの内省的な心象風景を主に描いたTV版は、使徒との戦いを描いた第24話までの内容と断絶しており、また、24話までに提示されてきた謎、「アダムとリリス」、「人類補完計画」、「綾波レイの正体」、そして、そもそも「エヴァンゲリオン」とは何だったのか、と言ったことに一つも答えていないので、これは熱心に物語を追ってきたFanの期待を裏切って余りある終わり方だったのだろうと容易に想像できる。これに対して、1年余りの時間を経て発表された劇場版は、これらの謎に一応の答えを提供する内容にはなっている。

作品が発表された時代を考えると、第1話が1995年10月だ。1995年と言えば、年初に「神戸・淡路大地震」が起こり、続いて「地下鉄サリン事件」、「70円台超円高」など、もう経済大国日本もいよいよだめなんじゃないかと思わせるような事象が相継いだ、世紀末気分のようなものが漂った年だったのではなかろうか。そういうことを考えると、この作品の登場人物たちがそろいもそろって根暗、内向的なところが時代の雰囲気を反映しているのかとも考えられる。

そんな時代背景も考えながら見ていると、TV版の結末と劇場版とを見比べてみて、個人的には、評判の良くないTV版の方が分かり易いかなと思っている。TV版の結論は、要するに中村天風流の「晴れて好し、曇りても好し、富士の山」ということで、物事を認識するのは結局「心」の在り様なのだ、と言うことだった。だから、内向的で自分に自信の持てない主人公、Evaに乗って使徒を倒す時だけ父親や他人から褒めてもらえ、Evaに乗ることによってしか自分を見出せなくなっていた主人公シンジが、真に自我に目覚め、生きることの意味をそれなりに見出すところで終わっている。想像するに、庵野監督の当初の主題は、こんな所だったのだろうが、キリスト教の世界観を持ち込んだり、謎の多い複雑な物語構成にしているうちに、最終回までに収拾がつかなくなってしまったのではなかろうか。

これに対して、劇場版は、それなりに様々な伏線の回答が試みられる形で物語が進行するものの、「ちょっと、このAnimeは、お子ちゃまには見せられない代物ですぜ。」と言う内容になっている。お子様に見せられない基準については、例えば女性の乳房を例に取ると、物理的に乳房を曝すような映像は、エロイ状況はもちろん、母親の授乳の場面もだめだが、多少のエロイ状況でも乳房さえ曝さなければ良いと言うのが米国流、反対に子供の時間帯にエロイのはだめだが、芸術的なものや母親の授乳の場面なら構わないと言うのが英国流と言うのが、私の個人的見解だが、Eva劇場版は、このどちらの基準から言っても子供が見るには不適切な作品だと言うことだ(暴力、流血も尋常ではない)。そして、全ての謎が、すっきりと解かれたのかと言うと、量産エヴァンゲリオンの磔の空と海岸にシンジとアスカが打ち揚げられている最後の場面は、少なくとも私には意味がわからなかった。

そして、暗い時代を反映してか、哲学的、内省的描写が多く、日本Animeの可能性をその方面で推し進めた画期的作品と言う評価は間違っていないとすれば、天才的な科学者赤木母子の行動が碇ゲンドウに対する性愛に全て帰せられる所など、薄っぺらい描写に思えてしまう。碇ゲンドウがアダムとリリスを使って一体何をしたかったのか、そもそもこの人物は何だったのか、分からなかった。

しかし、空色の髪と赤い瞳を持つ少女、綾波レイの醸し出す尋常とはいえない独特の雰囲気は、レイ同様自然の人間ではなかったEureka(特に物語り序盤のEureka)にそっくりではないかと言うことに途中で気が付きました。また、Flash Cutを多用したOpeningの演出、各Part開始のEye Catchなど、「交響詩篇エウレカセブン」がEvaから受けた影響は、それなりに大きいようです。「交響詩篇」の製作StaffがParody好きなのは、作品から明らかな周知の事実ですが。

社会現象まで起こして未だに論争が絶えないEvaも、今年が劇場版公開から10周年とのことで、「新世紀ヱヴァンゲリヲン」三部作劇場版が新たに製作され、第一部が2007年9月に松竹・東急系で公開されるそうだ。考えてみると、携帯もろくに普及していなかった時代なのである、10年前は。現代と言う時代の流れの速さを痛感せざるを得ない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

Softbank携帯はもしかして好調?

昔から電話が嫌いなので、携帯は必要ないと思っていましたが、さすがに年貢の納め時も近いかなと思うことがあって、近所のDocomoとSoftbankの携帯電話店に話を聞きに行ってきました。日曜日と言うこともあって、最初に到着したSoftbankは、4、5人待ちの状況。せっかちで行列が大嫌いな性質なので、待たないでそのままDocomoへ。Docomoもそこそこ混んではいましたが、待たずに説明を聞くことが出来ました。

しかし、Docomoは、高い。待ち受け中心の基本使用料だけでも一年割引を利用したとして、3402円。Mail等が中心の使用法になることが予想されるので、Packet関連の料金が、最安のPack10でも1050円かかるので、最低でも4450円ということだ。これに、初期費用の3000円と端末代が上乗せされる。帰りに、再びSoftbankへ行くが、まだ、待ち状況が変わっておらず、説明書だけもらって帰宅する。同社のWhite Planの基本使用料は、980円である。そしてPacketし放題は、1029円~4410円Maxであった。加えて端末は24ヶ月Super Bonusと言う複雑怪奇な方式で割賦払いをする。この方式を選択すると、待ち受け中心、最低限度のPacket使用量では、2300~3000円程度で行けそうだ。

仕事などで、仕方なく携帯を持つおじさんにとって、Softbankの料金設定は相当魅力的に思えるのだが...。機種も、ほぼ811SHで決まりだ。いくらPDAやPCの代用として使う意味合いを持たせたいとしても、X01HTはやり過ぎだ。PC代わりとしては優れていても、肝心の携帯電話端末として使いづらそうな感じがする。それでは、本末転倒と言うものだろう。家電は、できれば松下かSharp、次いで東芝と言う偏見を持っているのだが、811SHはその偏見にも見事合致している。

NHKは、既に存在意義を自ら見失った放送局になってしまったと思っている。出演者の名前を確認しようとしてHPのドラマの画面を見ると、「ハゲタカ」、「芋たこ」にならべて、韓国ドラマを並べるところからして、そのことを改めて痛感させられた。

しかしだ、NHKドラマに再生の兆しが見て取れる。第一に、今年の大河は、これまでのところ秀逸と言って良い。主役の内野聖陽は渋い演技をしていて、もちろん良いのだが、武田晴信の市川亀治郎という歌舞伎役者とその守役板垣を演じる千葉真一がすばらしい。この二人の演技と掛け合いの演出には、毎回泣ける。千葉真一の居合いは、相当な年季を感じさせる迫力と速さだった。ここ数年間つまらなくて見るに堪えないか青春ドラマとしての価値しかない大河とは言えない大河が続いていたが、「風林火山」は、久々の本格的大河ドラマに仕上がりそうな気配が出てきた。

NHKの少なくともドラマ部門における復活を感じさせるもう一つの作品は、話題の「ハゲタカ」だ。第一話は、少々お涙頂戴的な話ではあったが、外資系投資Fundが、邦銀の抱えた不良債権をBulkで一体どの位の値をつけたのかなど興味深い場面も紹介されていた。何と、9%ちょいの10%を割る水準だったと思う。若い頃ちょっときざ過ぎて好感度今一だった柴田恭兵が、中年の少しくたびれてはいるが、まだ理想を捨てられない正義派の銀行マンを上手く演じている。

柴田演じる芝野健夫は、自ら担ぎ出したSunday Toys副社長が横領に手を汚していたことに気づき、所属する銀行を守るために、当初この事実を否定するが、ハゲタカに対してSunday Toysの買収を争う入札の土壇場になって、銀行に不利なこの事実をあっさり認めてしまう。入札に負けて重役への申し開きで、「私は、今年44歳になります。人生の折り返し地点はとっくに過ぎた年齢です。しかし、これからの残りの人生を、自分に言い訳しながら生きて行きたくはないのです。」、そう言って芝野は、苦渋の表情で辞表を提出する。「格好いいな。お前はいつもそうだ。だからだめなんだよ。もういい。」重役は、そう吐き捨てるように部屋を退出する。ここまで劇的な話は、現実にはそう在りはしないが、近年益々世知辛さを増す企業社会、芝野のような青臭い悩める中年おやじはあちこちに存在し、中には芝野のような生き方をとってしまう人も少なからずいるのだろうななどと、思って見てしまうドラマではあった。次回から、銀行を退職した芝野が企業再生を通じて自らの再生を賭けたドラマが展開していくようです。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

さすが薩摩藩

前回に触れた地球温暖化ガス問題が今年になって俄かに最優先課題の一つに上げられるようになってきたことについてだが、その理由の一つとして挙げられそうなのは、英国などが排出権取引における主導権を握って、得意の手数料で儲ける作戦を意図しているのかもしれないと言うことだ。Euro導入に当たっては、独逸が当時最強の中央銀行に守られた最強通貨Markを放棄することと引き換えに欧州中銀のFrank誘致に成功した。しかし、Euro流通に参加さえしていない英国が、Euro市場においてもCityの底力を発揮していることは良く知られている。今、温暖化ガス対策では、またまた、欧州において英国と独逸が最先端を争っているようなので(何と、近年新車販売ではDieselが半数を占めるところにまで及んでいるとのこと)、排出権市場を自国に持ってくると言う意図を勘繰ってしまう。

さて、話変わって、こんな記事があった。

「西郷は征韓論」を削除・鹿児島知事要請で教科書出版社

 西郷隆盛らの征韓論を記述した日本史教科書に、西郷が朝鮮との平和的交渉を目指したとする「遣韓論」も併記するよう鹿児島県の伊藤祐一郎知事から要請を受けた教科書出版社の一つが、「西郷は征韓論を唱えた」との記述を削除していたことが1日、分かった。伊藤知事が県議会で自民党県議の質問に答え、明らかにした。

 記述を変更したのは、第一学習社(広島市)発行の高校向け日本史教科書。「明治初期の外交政策」の項で、「西郷隆盛らは(中略)武力を用いてでも開国させようとする征韓論を唱えた」との従来の記述を削除した。

 新たに「政府は(中略)朝鮮に開国を要求したが、拒否されたため、朝鮮への非難が高まった(征韓論)」と記述。さらに「西郷隆盛らは、1873(明治6)年、西郷を使節として朝鮮に派遣することを決定した」との内容を加えた。

 「遣韓論」併記にまで踏み込んではいないが、伊藤知事は記述変更を歓迎、「今後も郷土の偉人が正しく理解されるよう努めたい」と話した。〔共同〕(07:00)

薩摩藩は、さすがに外交巧者である。しかし、明治維新を断行した志士上がりの政治家たちが、朝鮮半島について最大の懸念材料であると考えたのは、当時の情勢を考えればごく自然な流れであったと思う。英国植民地主義の東亜細亜地域における北進と露西亜帝国主義の南下政策のぶつかりあいが各地で勃発しており、仏も加えた列強のせめぎ合いの最中で辛うじて成功裏に立ち上がった維新政府だが、朝鮮半島に露西亜が進出したならば、たちまち危なくなるということは、地図を見れば誰でもわかる。朝鮮半島の住民にはたまったものでなかったかもしれないが、何らかの形で露西亜への対応が出来る体制を整えてもらわない限り、日本の指導者たちが国土と国民の生命を重大な危機にさらす恐れが大であると考えたのは、太陽が東から昇り西に沈むのと同じくらい自然な流れだったと想像する。そういう時代背景を学んだ上で、我々の先達たちがどういう判断を何故下したのか、研究することが歴史を学習すると言うことではないだろうか。

それにしても、さすが郷土の先輩を敬愛する薩摩藩。近代装備の軍隊と横井小楠等の人材を有しながら、「肥後の議倒れ」で維新に乗り遅れたのは、お隣肥後熊本藩。こちらは、「一人一党」の伝統が未だ強いのか、横井小楠の知名度は今一ですが、それ故比較的空いている小楠ゆかりの「四時軒」は、なかなか風情のある良か所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

10-12月期の経済成長率4.8%

ここ数年、日本人の道徳心の低下を痛感するのは、夜間無灯火の自転車の多さ。実地調査をした訳ではないが、今夜走った感じでは、ざっと7~8割が無灯火だ。一概に道徳や倫理観の問題とは言えないのかもしれない。小生の子供の頃は、今ほど町に街灯がなかったので、道を照らすために必然的にやっていたと言うことも言えなくもない。当時は、発電式がほとんどで、点灯するとペダルが重くなる。自転車自体も日本製のしっかりしていて故障しにくいが、重量も今のものよりかなり重かった。それでも、夜間、子供も大人も、自転車を点灯して走らせていたと記憶する。

今、自転車は軽いし、灯りも電池式がほとんどだ。それでも、敢えて灯火しないのは、都会では夜でも町が明るいから、自分から道を照らす必要が無いとでも思っているのだろうか。そうだとしたら、それは、公衆道徳の問題ではなくて、脳みその減少と言う問題なのかもしれない。灯りは、歩行者や他の自転車に自らの所在を認識させるために点すという事に思い至らないのだとしたら。

ちなみに、倫理や知恵に頼れないとなれば、法律で縛るしか解決策は無い。調べてみると、現行道交法でも立派に罰金の対象になっているようだ。

【無灯火の禁止】
夜間、道路では前照灯(ライト)をつけなければいけません。(法第52条第1項) 

罰則:法第120条第1項5号 5万円以下の罰金

さて、10-12月期の実質経済成長率が年率で4.8%と内閣府が発表した。7-9月期が低成長であったことの反動と言う意見もあるが、久々の高い成長率は一目瞭然で、これで俄然、今月の日銀による0.25%の利上げの可能性が、現実味を帯びてきた。市場の反応は、まず株式市場、日経平均が17897.23で144.59の上昇。ここもとの強気相場の流れ、米国市場も連日高値圏で推移していることもあって、素直に経済成長と言う材料に反応した格好。次に、為替、午後7時47分現在120円13銭、前日比約1円の円高。債券先物3月限、133円88銭、22銭安。為替、債券は、利上げ可能性を織り込もうかな、と言った反応のようだ。

はたして利上げは、あるのかないのか。日銀が気にしているのは、政府と海外の目。政府の意向が、首尾一貫して、参院選前の利上げに反対なのは判っている。それでは、海外はどうか。

日本への要求、建前は、「日本は円安による輸出頼みの経済成長はいい加減にして、内需拡大を図れ」と言うことだ。利上げは、円高要因で、「輸出頼みはやめろ」と言う点は良い。しかし、利上げは、景気後退要因でもあり、内需拡大の足を引っ張る可能性がある。

幕府の本音は、基軸通貨の防衛にあると仮定できる。Plaza合意の当時、Euroと言う厄介な代替国際通貨は存在してさえいなかった。今は当時とは事情が異なる。昨年は、対Euroで下落を続け、USDの主要な買い手は、東亜細亜の2国と言う。せめて、裏庭と天領には、当座、基軸通貨をぶれずに使ってもらうということだとすれば、利上げは歓迎しないと言うことになるのだろう。しかし、0.25%程度の利上げが、一体どれほどの影響を及ぼすと言うのだろう。このくらいの利上げは、やってもやらなくても効果は一緒と言う感じがする。問題は、その後どのくらいの期間、どのくらいの水準まで利上げを続けるのかと言うことである。おそらく、日銀にその辺りの確固とした見通しと相場観はない。とすれば、選挙前にできるのは、今回一回だけで、やってしまえば、当面の懸念材料出尽くしで、株は強気地合に戻り、円の戻りも限られたものになり、正気に戻れば円安に逆戻りと見る。やってもやらなくても大差のない利上げを、根性無しの日銀はできないと見る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

富国強兵

明治維新を成し遂げた革命家たちは、国家目標を当時の言葉で分りやすく「富国強兵」とした。後に、彼等を引き継いだ秀才たちは、この意味を曲解して、国家を滅亡寸前にまで追い込んだために、今日この言葉を積極的な意味で使うことはなくなった。しかし、当時極東から南亜細亜に至る地域の主要な脅威は、英国の帝国主義と露西亜の南下政策のぶつかり合う植民地主義であった。露西亜に対する備えを固める一方、英国と同盟した明治の指導者たちの皮膚感覚は、国民の生命と財産を守るにはどうすることが最善かを感じ取っていたのではないだろうか。今日、自由主義・民主主義に拠って立つ日本の国家の目標と存在価値も、根本は、全く変わらない。国家の最大の目標は、国民の生命と財産を守ることだ。しかし、この国は、国民の生命と財産を本気で守ろうとしているのだろうか、と首を傾げてしまう。このままでは、北方領土も、竹島も、尖閣諸島も全て強奪され、それでも、日本固有の領土に対する周辺国の侵食を手を拱いて見ているだけの国に陥ってしまうのだろうか。

海洋調査船問題、中国が日本の抗議に「強い不満」(読売新聞)

 【北京=末続哲也】尖閣諸島(中国名・釣魚島)周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、中国の海洋調査船が事前通報とは別の地点で調査活動を行った問題で、中国外務省アジア局の当局者は5日、日本側の抗議について、北京の日本大使館に「日本の宣伝に強い不満を表明する」と伝えた。同省が6日発表した。

 同当局者は、「釣魚島と付近の島は中国固有の領土で、中国の船舶が近海で行う正常な海洋科学調査は中国の正当な主権行使だ」と語った。

[読売新聞社:2007年02月06日 14時06分]

以下、モスクワ在住気鋭の国際情勢分析家、北野幸伯氏、露西亜政治経済ジャーナル439号(2月6日)から引用;

中国はアメリカ不在を狙って他国を侵略した。

見間違いではありません。侵略した、です。 

1973年、アメリカはベトナムから撤退しました。1974年1月、中国は南ベトナムが支配する西沙諸島に侵攻。守備隊を撃滅し、同諸島を占領。西沙諸島は、約34の島からなり、中国・ベトナム・台湾が領有権を主張しています。1973年まで、同諸島の北半分は中国が、南半分をベトナムが支配していました。中国は、米軍が去ったのに乗じて南半分を支配したのです。中国は、西沙諸島の永興島に滑走路や通信施設を建設。軍隊が常駐し実効支配しています。

もう一つ例を。

1992年、アメリカはフィリピンのスービック海軍基地、クラーク空軍基地から撤退します。95年1月、フィリピン支配下の南沙諸島ミスチーフ環礁に、中国が突然施設を建設。98年10月、中国同環礁にコンクリート製施設を新たに建設。フィリピン外務省が抗議しましたが、中国は無視。

これらの事件を日中関係に置き換えてみましょう。

日中は共に尖閣諸島の領有権を主張しています。中国が尖閣諸島に上陸して施設を立てる。重要なのは、中国は尖閣を自国領と主張しているので、彼らにとってこれは侵略にならないということ。日本政府は抗議。中国は、「どうせ日本は何もできないだろう」と無視する。(交戦権もないし)

ベトナムとフィリピンでこういうケースが既にあったということです。この原稿を書いているときに、こんな情報が飛び込んできました。

「尖閣付近に中国調査船、外務省が抗議
4日午前9時半ごろ、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島(うおつりじま)から西北西約30キロの日本の排他的経済水域(EEZ)内で、中国の海洋調査船「東方紅2号」(3235トン、全長96メートル)が調査活動を行っているのを、第11管区海上保安本部(那覇市)の巡視船が確認した。」
2月5日0時12分配信 読売新聞
      ↑
こういうの、日本語で「兆候」というのですがね。もちろんRPE読者さんは違うと思いますが、平和ボケしている人たちは、目の前の事実も見えないのです。
これを日本語で「愛は盲目」といいます。(涙)
ここから一つの結論が導き出せます。

1、中国は、アメリカがいるときはおとなしい
2、中国は、アメリカがいなくなると速やかに侵略を開始する

もういいかげんうざったくなって来たと思います。しかし、「中国が尖閣諸島や東シナ海の日本領海を侵略する可能性」は「十分ある」のです。だって、そんなに大昔でない過去に、侵略しているのですから。

引用終わり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スポーツ観戦-その2-

さて、いよいよ今週末は、Super Bowlである。NFCからはChicagoが、そして、AFCからはIndianapolis ColtsがPlay offを勝ち抜き、舞台をMiamiに移して、Vince Lombardy Trophyを懸けて戦うことになった。

米国は、しばしば、Association footballすなわちSoccer不毛の地と言われ、その最大の要因と言われているのが、American footballの存在である。しかし、私見だが、American footballは球技と言うよりは、相撲に近い。アメフトは、米国人の大相撲なのだ。大相撲には、ぶつかり合いのほかに、様々な間合いがあるが、アメフトにも、Cheer Girlの踊り有り、Super BowlのHalf Time Showが有りと、様々な米国流の行事が行われ、また、間合いも存在する。更に、攻撃と守備が4回の攻撃で10Yard前進できないと入れ替わる点は、SoccerよりもBaseballに近い。私は、Soccerの良さが分からない野球・相撲党なので、アメフトの面白さは良く分かる。はっきり言って、観戦Sportsでこれほど面白い競技は無いと言っても過言ではないが、日本には大相撲があるので、今後もMinor Sportsの地位を抜け出すことは無いだろう。そして、もし、逆も真ということが言えるならば、J Leagueが隆盛になってきたことの影響は、野球が一番強く受けていると一般に思われているが、むしろ大相撲人気とSoccer人気が反比例しているとは言えないだろうか。

次に、出場Teamの分析だが、Chicagoは、80年代にThe Fridgeと称されたWilliam Perryに象徴される守備力重視のTeamで、Super Bowlにも一度勝っている。その伝統を守っているのか復活した今年のBearsもNFL随一の守備力を誇る。 NFC Championship Chicago Bears vs. New Orleans Saintsの試合を今頃見た。実力的にはほぼ互角のTeam同士。明暗を分けたのは、Chicago Home、Soldier Fieldでの試合だったことと、やはり、前評判の高いChicagoの守備陣の働きだった。Chicagoの守備は、単に敵攻撃陣を止めるだけでなく、必ず相手の保持する楕円球を奪い取る動作を怠らず、Turn Over(攻撃権の奪取)に結びつける。また、前半、Field Goalを確実に決めて、主導権を握るきっかけを作ったKickerの力も、並みの攻撃力しか持たない攻撃陣を補う重要な戦力と見た。この試合残念だったことは、主審が若干ではあるが、HomeのChicago贔屓の判定をする場面が数回見られた。特に、判定にChallengeして、Video判定を要求した場面で、New Orleansの要求は判定が覆されず、Bearsの要求は判定逆転となったが、中継のVideoでは、むしろ、反対の結果でもおかしくない感じで、試合の行方を左右する微妙な判定が全てHome有利に為されていたとも言える。

AFC Indianapolis Coltsは、宿敵New England PatoriotsをAFC Championshipで遂に破って出てきたところが大きい。Indianapolisは、おそらく現役では最も才能に恵まれたQB Payton Manningに率いられた攻撃のTeamと言って差し支えないだろう。しかし、ここ数年NFLは、抜きん出た才能の選手はいないが、そこそこの実力とTeamの勝利を第一に考える人柄の選手を集めて常勝軍団を作り上げた、New Englandの天下が続いていた。去年のSuper BowlもPatriotsではなく、Steelersが出てきているので、常勝軍団にも翳りが出てきている可能性が無いとも言えないが、Patriotsを破った今年のManning & Co.は強いと思う。矛と盾の突っ張りあいが予想される今季Super Bowlは、どちらに軍配が上がるのだろう。この数年は、どちらかと言うと全体的にAFCの方が力は上との感じもするので、実力的には、Coltsが若干上回るか。しかし、何のこじ付けだか知らないが、Super BowlでNFCが勝った年は、Dow平均が90%以上の確率で上昇すると言うFootball指数のこともあるので、私の立場は少々微妙。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スポーツ観戦

野球が休みのこの時期は、米国ではNFLがPlay offからSuper Bowlへの最高の盛り上がりを見せるのであります。今季は、NFCからは、Chicago Bears、AFCは、Indianapolis Coltsが遂に出てきて、新鮮な組み合わせになったようです。Super Bowlは2月4日だ。

さて、Footballがいまいちの日本では、正月の箱根駅伝がお祭りですが、この時期に真盛りになるのはやはり長距離ということになるのでしょう。昨日は、昼過ぎからの大阪女子マラソンをチラッと見ていたら、渋井陽子と原裕美子の高速での突っ張りあいという見ごたえのある内容になり、30KM付近で原が勝負に出て渋井を突き放すまで、ついつい見続けてしまった。原は、2時間23分48秒で優勝し、世界陸上の出場を決めた。昨年11月、雨天の中、高橋尚子との一騎打ちを制した土佐礼子は、悪条件がたたって26分台だったため、世界陸上の出場権は手に入れていない。

しかし、マラソン女子は、次々と有力な選手が出てくる。もともと長距離が好きな国民性に加えて、高橋、野口の五輪二連覇の効果が大きいのだろうな。渋井は、有名選手の一人だが、その走りを見ていると、解説者の沢木氏が指摘していたように、着地で脚に負担がかかりやすそうな走法で、後半の失速や故障の問題を抱え易いと素人目にも思われた。調べてみると、渋井という選手は、高速で逃げ切った時はすばらしい記録を出すが、後半失速した時は、負ける。その繰り返しで、後半失速は、惨敗の印象が強いが、これまで、棄権したことはなく、全て完走。このあたりは、受ける印象とは違う。同僚の土佐は、速さと言う武器はないが、安定度は抜群で、5位以内入賞を確実にこなす。見るからに才能豊かと言う感じではないが、年齢や実績からもう上がりと傍目には思われた辺りから強くなりだしたところも土佐のすごいところだ。

五輪に出場したような素質のある選手でも、Sydneyの市橋は競技を止めてしまったようだし、Athenの坂本は怪我に泣いているようだ。高橋尚子も、ここ数年なんでこんなに怪我ばかりするのだろうと思うくらい怪我が多くなった。強烈な向上心を維持して豊富な練習をこなし、それを何年も続けることは、限られた選手だけができることなのだろう。しかも、豊富な練習量と怪我は、裏腹の関係で、自分の身体を熟知して、その折り合いをつけることもできないと、選手生命は短いものになる。これは、口で言うのは簡単だが、具体的には身体感覚を研ぎ澄ませて、自分の身体各部の声を聞くということなんだろうか。練習をサボる口実ではなく、こう言うことができる人は、そうはいないだろう。

季節に関係なくできる室内競技では、朝青龍が講談社系の週刊誌に八百長疑惑を指摘されて、相撲協会が横綱本人に事情聴取すること。また、Wrestlingの全日本選手権が行われていて、五輪の入賞者など有名選手が優勝したことは伝えられているが、総合格闘技のKidが選手権に出場して敗れた上に、右ひじ脱臼の大怪我をしたこと。この2件は、Netでは周知だが、主要報道機関ではあまり伝えられていない印象を受けた。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

社労士事務指定講座

社労士事務指定講座の教材が届いた。社労士試験に合格し、二年以上の実務の経験があれば、社会保険労務士登録を行うことができる。それでは、二年以上の実務経験が無い者はどうするかと言うと、全国社会保険労務士連合会が提供する事務指定講座なるものを受講して、実務経験に代えることができる。事務指定講座は、通信教育と夏に行われる4日間の講習で、約半年で修了する。

社労士試験の試験勉強は、労働保険制度、年金制度、健康保険制度などかなり細かいことまで出題されて、なるほどこう言う仕組みになっているのかと言うような類の発見は多かったとは言え、単に知識を頭にぶち込んだだけなので、Case Studyを中心とした、実務研修が必要になることは良く分かる。この講習が実は実務にはあまり役立たないと言う実務家もいるようだが、それは本人やり方と考え様で、私自身はしっかり取り組むつもりでいる。

しかし、日本人が、学問と実務をどこか断絶させると言うか、分かりやすく言うと、芥川賞と直木賞の対象を最初から異質なものとして取り扱う精神構造は、一体何なのだろう。そういう学問や純粋芸術は、実態社会とは少し違うものだという発想が、顕在か潜在意識かは、はっきりしないがあるという仮定を立てないと、今年の午前中の選択式問題第5問のような「超弩級」の馬鹿問題は、どう考えても出題されるとは到底考えられない。社労士試験は、午前中の選択で40点満点、午後の択一で70点満点中それぞれ合格点を取らなければならないが、その上で、各科目選択では3点以上、択一で4点以上取れていなければ、原則不合格になる。過去問を見ると平成16年の健康保険のような問題数の少ない択一における馬鹿問はあることはあるが、今年の択一社会保険一般常識は非常識極まりない問題だった。こんなもので、不合格になるようなことならば、これは天の意思でこの試験はもう止めよと言うことなんだろうと理解しようと思ったほどだ。

択一社会保険一般「非」常識問題にもかかわらず、合格したのは、これも天命と思い、社労士関連の仕事を模索中だ。いきなり開業と言うのは、弁護士でさえ難しいという昨今、無理がある。まずは、実務を積むことだが、適当な場所が意外に少ないのが現実だ。Internetの普及で、知識を売る専門職は、もう一工夫ないとなかなか生き残っていけないのが現実と知るべきかも知れない。

しかしだ、それにしても日本は後ろ向きな気がするのは何故だろう。頭から学問や専門知識と実務は違うのだ、世の中は法律の通りには動かないのだ、という思い込みがあり、実際その思い込みの通りの社会になってしまっているから、と言う仮説である。労働基準法という使用者に対する罰則まで定めている法律があっても、サービス残業はなくなるどころか一般化する社会。犯罪であるとはっきり定義され、罰金もとてつもない金額に引き上げられても談合をする大手建設会社。名古屋の談合事件には、愕然とした。

最近1990年代に住んだ米国のの雰囲気をふと思い出した。ここのところ世界で戦争をやって、すっかり悪役になってしまった感はあるが、やはり米国は、日本に比べると明るい。それは、なんでもありの明るさなんだろうと個人的には勝手に思っている。それで、思い出した話がある。明治時代の松山出身の軍人秋山好古、真之兄弟の真之の方の話で、彼が海軍参謀として、研修のため、英米に渡航する。当時最強の海軍はRoyal Navyであり、米国海軍は長男、帝国海軍は次男と言うところだった。英国での研修が終わり、大西洋を渡った真之は、米国海軍が進取の精神に富んでいることにえらく感心している。真之がその顕著な具体例に挙げているのは、PCを駆使する現代人の目からするとお笑いだが、米国人が海戦の机上演習などにおいて海図に模型の艦船をおいてやっている点だった。思いついたことをやってみようと言うことにおいて、本家の英国のやり方には囚われない米国流は、真之の心を打ったようだ。

ところで、司馬遼太郎「坂の上の雲」は、NHKが阿部寛の好古、本木雅弘の真之で結構力を入れてドラマ化するようだ。この配役は、人物像と良く合致している。幕末から明治の人物は、それなりに資料や写真が残っているので、あまりに印象の違う配役を使うのは絶対に良くない。小男で切れ長だった高杉を中村雅俊がやったり、6尺優にあったという西郷をただでぶなだけの西田敏行がやったりするのはおかしい。中村晋作は副主人公で、主人公役の中村梅之助方は「攻め達磨」そっくりだったが。

ついでに言えば、大河ドラマで日本の歴史の中心にいた人物以外を主人公にするのは、大河の支流になりやすく、失敗する確率が高まると考えている。坂の上は、大河ではないから良いが、大河と言うからには、大河の本流にいた人物だけ、繰り返し取り上げた方が成功確率は高まるというものだ。大河の本流にいた人物の定義は人によって異なり、難しいところだが、せいぜい新撰組の近藤勇くらいまでで、利家は微妙、一豊は入らないと思う。宮本武蔵は、ドラマの主人公だが、大河で取り上げる人物には入らない。独断と偏見だが、大河とは、日本とはどういう国なのか、どのような歴史をたどって、どのような価値観や倫理観を育んで来たのかということを繰り返し繰り返し伝えるという大原則、使命をまっとうできなければ、やらない方がましと言うものだ。

と言う訳で、妙な慣習や偏見に縛られ、その上、守るべきものが分からず、時代に迎合して妙な改変を加えることが変革と思っているのが、今の日本の一面であると言う話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

納豆痩身法の顛末

本日、近所の西友に行ったところ、納豆「ほね元気」と「糸の力」が98円で、店頭に積まれていた。さすが西友と思ったら、「あるある」が早くも馬脚を現していたのだ。だから言ったではないか、TVの権威なんぞ信用するに足らないと。

納豆ダイエット実験ねつ造…手口悪質、番組打ち切りも(読売新聞)

 「ダイエット効果がある」として納豆を取り上げ、全国の小売店での品薄騒動を引き起こしたフジテレビ系のテレビ番組「発掘!あるある大事典(2)」を制作した関西テレビは20日、記者会見を開き、実験が「ねつ造」だったことなどを明らかにして陳謝した。制作の手口も悪質で、テレビ番組の信頼を損なったことから、番組打ち切りも含めた厳しい対応の検討を始めた。会見によると、実験のねつ造が発覚したのは、7日放送の「食べてヤセる!!! 食材Xの新事実」。アメリカのダイエット最新情報を基に、男女8人を対象に様々な形で納豆を食べてもらい、ダイエットの効果を検証する内容だった。しかし実際には、ダイエット効果の根拠となる「中性脂肪値」などを測定しておらず、番組で表示された数値は架空のものだった。アメリカの研究者のコメントも勝手に作成し、また、「やせた」とされるアメリカ人の比較写真も、被験者と無関係だった。

[読売新聞社:2007年01月20日 21時56分]

日銀の方も一応当たった。あとは、USD高・円安がどこまで進むかだ。USDは、本質的には、暴落Riskを抱えていると思うので、欲をかかずに早め外貨MMFは解約する予定。ただ、福井総裁は2月の利上げもできないと見た。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

納豆痩身法

ここのところ、夕方スーパーに行くと、納豆が消えている日が続いていた。Mail Magazineに納豆Dietなるものを始めたと言う記述を数回見かけた。この二つの事実から、巷ではそういうものが流行りだしたらしく、納豆が突然品薄になっていると言う仮説に漸くたどり着いた。納豆Dietなる記述を見た瞬間ピンと来なくてはいけないのだろうが、鈍感なもので今頃気が付いた。近眼なので昨日まで目に入らなかったのか、今日からの掲示なのか、「あるあるに紹介されて云々」とご丁寧に注意書きが出ていた。これでへなちょこな調査をするまでもなく、仮説が裏付けられた。

それで、つぎなる仮説はちょっと飛躍して、「今や多くの人が、あるあるのような健康番組で報じたことに簡単に反応するようになったのは、TV報道に対する依然として高い信頼感、自身の健康に対する関心の高まり、および、自分のために何かをすると言う個人主義的発想の浸透があるのではないか。」

一般人は、依然としてTV報道の権威にひれ伏しているのだろうか。あれだけくだらない番組を垂れ流し、Internetからの侵食を受け、最後の砦と思われたNHKの醜聞と、TV離れが進んでいるようにも思われるが。また、自身の健康にはこれだけ関心が高いのに、同じ国で虐め、子供の虐待、そして残虐な殺人などが増えているように見える。これは何故か、という問いの解答として、「自分のためになるから○○しなさい式の個人主義の行きすぎではないか。」と言う仮説を立ててみた。この仮説は、実証するのがとても難しそうだが、もし当たっているとすれば、一つの解決策は、「他人様のためになるから○○しなさい式に改める」ということになるのだろう。

日銀は金融政策決定会合で、今週0.25%誘導金利を引き上げると予測され、市場でも7割方織り込まれていたようだが、本日の新聞報道などで、やはり、利上げはないということになったらしい。新聞の権威もまたTV同様捨てたものではないようだ。それにしても、この報道の通りになると日銀は根性なしということになる。主張としては、12月に利上げしないで、状況にほとんど変化が見られない今月利上げするならその根拠を示してくれという自民党幹事長の方がよほど論理的だ。しかし、選挙の柵に縛られることなく、大局的な見地から利上げが正しい選択なのだと思えば、日銀は断固として利上げすれば良い。利上げが誤りであったと言うことになれば、福井が責任を取って辞めればよいだけの話ではないか。しかし、この良くしゃべるおっさんにそんな覚悟はとても期待できない。Live Door事件の時の身の処し方からして、判断力は非常に低いと見る。かくして、今回の利上げはなし。従って、USD高円安がもう少し続くと見たい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仮説思考

内田和成著、「仮説思考」を取り敢えず一読。仮説思考の練習に、「安倍政権の支持率を低下から上昇に流れを変えるためにはどうするか」を考えてみたい。

仄聞するに、内閣支持率は、発足当初の60%前後から、12月半ばの50%割れまで低下しているらしい。歴代の内閣の支持率からみれば、決して低い方ではない。しかし、低下傾向が止まらないと、40%割れも遠くない将来にあり得るのではないかと言う者もいて、夏に参院選を控え、悩ましいことだろう。

世間では、好景気の恩恵が、格差社会になったため、社会の末端では実感しにくくなっていること、それに加えて、本間前政府税調会長や佐田前行革相の醜聞、などが挙げられている。

私の仮説は、「安倍政権の支持率の低下は、主に都市部中心の浮動票で小泉前首相を支持していた比較的新しい支持層が安倍政権を支持しなくなっている。彼らは、成功した富裕層であるか、安定した職を持たない貧困層であるかに係わり無く、格差社会の到来をそれなりに受け入れている。しかし、社会の閉塞感を敏感に感じ取っており、これを打破するものを支持しており、利権を維持するために閉塞状態を守ろうとしているかに見える勢力を許容することは出来ないでいる。」というところ。従って、安倍政権が支持率を上げるためには、憲法改正を政権の最大の使命に掲げるならば、「現憲法が如何に閉塞状況の元凶になっているか、積極的に宣伝すること。そして、憲法改正こそが閉塞状態を打破する切り札であり、憲法改正こそ正義であるということを印象付けること。」ではなかろうかというものである。格差拡大の負の側面に焦点を当てる野党および報道機関の挑発は、敢えて無視する。

安倍政権の支持率低下の原因は、

1.安倍首相の人柄、指導者としての資質

長身、二枚目で押し出しが良く、弁舌爽やかな安倍首相が、個人的な理由で急速に支持率を下げているとは、考えにくい。

だとすれと、やはり、

2.安倍政権の政策

①日中、日韓の外交政策

②郵政造反派の復党を認めたこと

③TMやらせ醜聞

④本間前政府税調会長の醜聞

⑤佐田前行革相の醜聞

②の影響が最も大きければ、仮説を補強する材料になるだろう。それにしても、醜聞が多いが、これらが報道された前後の支持率の推移を、自民党支持者、非自民党支持者の動向と安倍政権の支持不支持の動向と合わせて見て行けば、大雑把な支持率に対する影響分析が出来るのではなかろうか。年齢別、男女別であればさらに明確になる。

比較的新しい、自民党支持層が格差社会を受け入れているかどうかは、前回の衆議院総選挙の投票傾向の分析である程度仮説を補強できると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人間と仕事-その2-

今年、戌年も、今日を入れてあと三日。「光陰矢のごとし」である。

野球の新庄選手が、日ハムの優勝、日本一を花道に今季限り現役を引退するらしいが、この人は、どうしようも無い能天気だとずっと思っていた。この人ほどの才能があれば、もっと野球選手としての本筋に精進すべきではないかと。しかし、最近は、新庄ほどの恵まれた才能があるならば、こういうのもありかな、と思えるようになってきた。本人が幸せなのが一番なのかもしれないと。

おそらく、日本人の伝統的な価値観からすると、阪神時代の新庄の指導もした野村監督などの現役時代の話などが、一番耳当たりが良いのだろう。「あの当時は、一軍に上がって、正選手の座を勝ち取ろうと努力した。手取り足取り教えてくれる先輩、コーチなどいなかったから、他人から技術を盗んだ。」というハングリー精神の見本のような話。同じ捕手では、巨人で打撃力を備えた正捕手だった藤尾から、かなり高度な競争で正捕手の座を奪った森の話など、かなり聞けば聞くほど世知辛い世界である。

今時の選手でも阪神の赤星のような若者は、野村監督の時代となんら変わらない価値観と行動様式とを持った選手のように見受けられる。交流戦で彼を見出し、育ててくれた野村監督のところにちゃんと挨拶に行く。「打撲など、選手にとって怪我の内に入らない。」と言う金本選手の言葉に、自らも骨折を押して試合に出たこともあった。昨日報道された金本の来期年棒は、推定5億5000万円で現役最高額だそうだが、阪神の不動の4番であるばかりでなく、周りの若い選手たちにこれだけの良い影響力を及ぼすならば、高くは無いのだろう。

しかし、考えてみると、こういう生き方、野村監督や金本選手、赤星選手のような模範的な選手としての生き方は、結構しんどいというか、常に交感神経が全開になっているような感じで、あまり続けていると病気になるんじゃないかと心配になってきた。人それぞれなんだろうが、新庄がこれをやったら、とっくの昔に怪我か病気で現役を退いていたかもしれない。

小泉さんの5年間、日本は明らかに市場原理主義的な方向、より厳しい競争社会への方向に舵をきった。交感神経全開状態が要求されるのは、多かれ少なかれ、運動選手などの限られた世界の話ではなくなった。野村監督や金本選手のように、現役を長く続けられる事自体、上手な息抜きの仕方もできていることの証明なのだが。それにしても、新庄のように、ほとんど副交感神経全開状態で、現役選手生活を終える人がいてもいいし、今のような時代、かえって、彼のような生き方が羨望の目で見られるのかもしれない。

結局、当たり前のことだが、人間や人生をありきたりの成功で量ることはことはできないし、ましてや記録や稼ぎの多寡だけで量ろうとすること自体間違っているのだろう。新庄さん、あんたの存在自体がそういうことを教えてくれる稀有な人だ。

と言いつつ、こんな本を読み始めた。大前研一さんなどが提唱している問題の本質にたどり着き、解決する力と言うことについて、自分なりに問題意識を持って学ぼうと言うことだ。類書を数冊、読み込んで、使いこなせるまでにしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

色彩ついて

目を通している「ベーシック・ブランド戦略」というMail Magazineがあるのだが、この中で、色彩についての解説があった。引用すると以下のような点だ。

カラーマネジメントの実践には、機材の導入も必要になり、なかなか大変な構築作業ですが、ちょっとした知識と今お使いのPC環境の改善だけでも、見え方はがらっと変わりますから、試してみてください。
制作会社との打ち合わせの際にも役に立ちます。

1.色空間を知る

現在、印刷物は通常C(シアン/青)M(マゼンタ/ピンク)Y(イエロー/黄)K(黒)の4つの色の混合率によって表現されています。

昔、図工の時間でならったことがあると思います。絵具の黄色とピンクを混ぜると赤になったり、水色と黄色を混ぜると緑になったり…いろんな色を混ぜていくと黒になっていきまししたね。この各色を混色していくと黒になる技法を「減法混色」と呼びます。

では、その印刷物の編集データを見る、モニタはどうでしょう。R(RED)・G(GREEN)・B(BLUE)の光の三原色で定義した色空間で、3つの色の光の照射率によってたくさんの色を表現します。この各色を混色していくと白になる技法を「加法混色」と呼びます。

減法と加法、根本が違います。人が目にする「色」は、本来RGBの光線の透過・反射の率によって生成されていますので、RGBの色空間の方が領域が広くなります。

余談ですが、トマトはなぜ赤いかご存知ですか?
トマトはリコピンというカロテノイド系色素によってGとBの光を吸収し赤い(R)光だけを反射するので、赤く見えるのです。

2.デバイス(機器)の色空間を知る

では、普段皆さんが使われているデバイス(機器)はどちらなのでしょう?
主だったものを分類してみます。

CMYK
・印刷物(ポスターやパンフレット、紙媒体広告など全般)
・レーザ/インクジェットプリンタ

RGB
・モニタ(モニタに映るものはRGBなので、webもそうです)
・デジタルカメラ
・スキャナ
・テレビ

制作現場では、RGBとCMYKが混在して制作が行われていることになります。でも結局の所、CMYKで表現されるのは最終出口である「印刷」で関係していることがおわかりでしょう。そして、撮影したり取り込んだりする入力機器で、RGBが使われています。

先程、RGBの方が色の領域が広いと申し上げましたが、いわゆる印刷物の色再現には実際に限界があります。南国の透き通るような蒼い海のブルー、何色とも言えない蝶の羽の模様、目がなじまないと見えてこない闇の中のさらなる陰影。もともとRGBという広い色空間で入力された画像データを、狭い色空間になってしまう印刷物でいかに再現する…。この技法はお話すると長くなってしまうので割愛しますが、私たちプロの現場でも常に神経を使う作業です。

しかし、この色空間の特性をクライアントが理解しているだけで、私たち広告制作者にとって、話がしやすくなります。

・モニタと印刷物は、色再現の根本が違う。RGBの方が色空間が広いので、特に彩度の高い写真や深い色の表現が難しいということ。

RGBで入力(撮影など)された素材写真を印刷物に適正化したCMYK画像に置き換えるのはプロの仕事。なので、制作会社に素材データを渡す際は、クライアントは何もいじらないのが基本です。中途半端に画像の色空間を変換してしまうのは後でトラブルのもと。少なくなってしまった色数を増やすことはできないからです。

さて、前回の最後に制作物確認における究極のコストダウン、「ペーパーレス」の話題に触れました。でも、モニタと印刷物の色空間が違うのに、ペーパーレスで確認はできるのでしょうか?

答えはYES。データを確認するモニタの特性を知り、カラーマネジメントに対応したプロファイルを活用することで可能になります。

(引用終わり)

なるほど、印刷機のインクは、確かに青、ピンク(赤)、黄に黒だが、人間の目はもちろんMonitorなどは色彩の再現方法からして、根本的に違うのだ。小生もPCと印刷機を使って、年賀状を印刷したり、Digital Cameraを使用したりするので、この程度の知識があるだけでも、随分と役に立つ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人間と犬

先月か10月だったか、まだ記憶に新しい話だが、ある日のある時間帯のTopが、野良犬の救出劇になって、相当数の国民の失笑を買ったことがあった。しかし、この報道を真面目に伝えた報道機関は、綱吉の子孫が国民の多数派になりつつあり、この人たちに媚を売ろうと考えたのかもしれない。近所にそれこそ猫の額ほどの区が管理する広場がある。この広場でも、特定の時間帯になると、犬を散歩させる人々が、鎖を解いて、犬を遊ばせる。広場には「綱や鎖を解くことを禁じる管理者の注意書き」が置かれているにもかかわらず、このきまりは有名無実化しているのが現状だ。

この注意書きに、どのような根拠があるかと言うと、東京都には、「動物の愛護及び管理に関する条例」(平成18年3月9日全面改正)と言うものがある。

この条例からの抜粋によると、第一章 総則、
第一条 (目的)、
この条例は、動物の愛護及び管理に関し必要な事項を定めることにより、都民の動物愛護の精神の高揚を図るとともに、動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止し、もって人と動物との調和のとれた共生社会の実現に資することを目的とする。

第二章 第九条(動物の適正な飼養等)、 犬の飼い主は、次に掲げる事項を遵守しなければならない。
一 犬を逸走させないため、犬をさく、おりその他囲いの中で、又は人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのない場所において固定した物に綱若しくは鎖で確実につないで、飼養又は保管をすること。ただし、次のイからニまでのいずれかに該当する場合は、この限りでない。
イ 警察犬、盲導犬等をその目的のために使用する場合
ロ 犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合
ハ 犬を制御できる者が、犬を綱、鎖等で確実に保持して、移動させ、又は運動させる場合
ニ その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、東京都規則(以下「規則」という。)(註)で定めるとき。

すなわち、都は飼い主に対して、犬に適度の運動をさせることは奨励しているが、戸外運動の際にも、原則はハにあるように「綱鎖保持」なのだ。また、管理者が禁じている場所が二の「その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合」に該当するはずが無いし、犬を広場で遊ばせることは、もとよりロの想定している「訓練」ではないだろう。この規定には、罰則規定が無いが、飼い犬が現実に他人や他人の財産に実害を加え、大事になることを予防すると言う意味においても、最低限の規則は守りましょうね、という最低限のことを定めた立派な規範なのだ。そのことは覚えておいて損はないだろう。

(註)動物の愛護及び管理に関する条例施行規則

(犬の飼養の特例)
第6条 条例第9条第一号ニに規定する規則で定めるときは、次の各号に掲げるとおりとるする。

    一 犬を制御できる者の管理の下で、犬を興行、展示、映画製作、曲芸、競技会、テレビ出演又は写真撮影に使用するとき。
    二 犬を制御できる者が犬を調教するとき。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人間と仕事

動物は、獲物が獲れなくなると生きては行けない。肉食動物に限らず、草食動物だって、草のあるところ、果実のあるところ、水のあるところまで移動できなくなったら、生きてはいけない。人間も動物であるから、稼げなくなったら生きて行けない、というのは極論であるが、限りなくお終いに近いと言うことなのかもしれない。

職業選択において、低い報酬に甘んじながら、うまくすれば死ぬまで使える鋭い爪と野山を走り回れる足回りを維持する人生を選ぶか、目先より高い収入が得られるが、徐々に力の衰えを自覚し、獲物が取れなくなることを見越して、腹や尻に脂肪を貯蔵する人生を選ぶのか。答えは自明のようでもあり、迷うところでもある。また、一番良いのは、もちろん、高い報酬かつ一生ものの技術が身に付く仕事であるのだが、これはこれで、なかなか見つけるのは難しい。

格好良いのは前者だが、果たして一生ものの爪や牙が手に入るかどうかは、運と自分次第と言う訳だ。しかし、たとい報酬が低かったとしてもやってみる価値はあるのではないかと、ふとそんなことを考えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メモリー増設-その4-

先週末に増設したNo-BrandのMemoryだが、どうも調子がよろしくない。PCは一応認識していて、動作も速くなった感じなのだが、Switch on後の起動が途中で止まってしまったり、これまで稀にしか起こらなかったFreeze現象が頻発するようになった。作業途中にFreezeするのは、これは使えないということで、Brand品に交換してもらうことに決めた。

昨日、先週Memoryを買った店に行き、差額分を支払って、Brand品に交換してもらった。一週間以内だったので、快く交換に応じてくれた。やはり、Memoryの相性がPCに合わず、交換を求めて再来店する顧客が結構いるのだろうと推察された。

最初のNo-Brandが問題を起こした理由は、おそらく256Mbit Chip仕様だったことによるのだろう。このPCにもともと装着されていたMemoryは、256MB/128Mbit Chip仕様のSDRAMだった。新たに昨日装着したBrand品も128Mbit Chip製品である。この問題が、BIOSを書き換えたりできるのならば解決していたのかどうか、根本的にMother Boardの仕様にしっくり行かなかったからなのか、そのあたりは全く分からない。BIOSと言えば、起動の問題は、Mother BoardのBIOSを保持するために使われている電池が切れてきているせいかと思いこれも交換したのだが、外した一瞬にそのBIOSが失われてしまったみたいだ。立ち上げ起動の時に、今度は、その旨のMessageが一々表示されて、そこで一旦停止するようになってしまった。今度は、BIOSを調べて、次の問題を解決しなければならなくなった。PCは奥が深いというか、自分が無知なだけなのか、本当にいろいろ手を煩わせてくれる可愛い奴だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メモリー増設-その3-

本日、Memoryの増設を完了。結果は、今の所、512MBで認識して、作動していますので、成功です。

ここ一週間ほど、Internetで、Memoryの増設のやり方、注意点を散々調べて、購入店のSupport DeskともMailを二回ほどやり取りして、最低限の予備知識は得ることができた。

昼過ぎ、初めて、Desk Topの箱をはずして、PCの中を確認する。Memoryを挿入できる部分は3箇所あり、そのうち一つに、256MB、PC133/128MbitのSDRAMが挿入されていた。その後、購入した店に行き、店員に再確認した上で、No-brandの256MB、PC133/256MbitのSDRAMを3,980円で購入。最安値という訳ではないが、PCを購入した店なので、動かない場合は、差額の1,000円ほどを追加払いしてBrand品と交換してくれる保証付きだったので、安心料として、ここで買うことにしたのだ。もっとも、PC133仕様のSDRAMは、既に過去のものとなっているのか、店で用意できるBrand品も一種類だけだった。

128Mbit Chipと256Mbit Chipとの違いは何なのか、今一つよく分からなかったのだが、Memory Chipが基盤の両面についているのが128Mbit Chip、片面だけが256Mbitと言うことのようだ。だから、我がDesk TopのMemoryは、まず、両面の256MB/128Mbitがあって、次に片面の256MB/256Mbit Chipが鎮座する形になっている。三段目は、目下空席。

PCは、体感速度で、反応が速くなった気がする。調子に乗って、今日買ったのと同じMemoryをもう一つ取り付けて見ようかと思っている。まあ、今日取り付けた256の調子を一週間くらい見てからでも、遅くは無いと思うが。再度PCの箱を開ける前に、以下の疑問点をある程度分かるようにして置かなければならない。

1.確かにMemory装着部は、もう一箇所空きがあることはあるが、果たして機能的に追加した256MB/256Mbit Chipを認識できるのか。

2.今日ふたを開けたとき、Mother BoardにCR2032 3VのDrop電池が装着されていたのを発見。この電池は、どういう役目を果たしているのか。これを取り替えるべきなのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

米国中間選挙の結果

米国の中間選挙の結果は、下院での民主党圧勝、上院は拮抗だが最終結果は、数え直しになりそうなVirginiaの結果待ちということになっているようだ。

下院(定数435) 民主党が過半数を大きく上回る227議席を獲得。(日本時間9日未明で13議席が未確定)

すっきりと結果が出ないと言うのは、株式市場にとって最悪の状況だが、それでも昨日のNY市場は、若干上昇して引けたので史上最高値更新だ。Dow12,176.54(+19.77)、SP500 1,385.72(+2.88)、NASDAQ2,384.94(+9.06)。うーん、想定内か、Virginiaでも民主党の候補が勝っているとなると、想定を超えた共和党の負けで、どう考えたらよいのか迷っている。

そんな中、昼ごろ、Rumsfeld国防長官更迭の報道。日高義樹氏によれば、制服組の反発を抑えて、ハイテク化と機動性志向によって米陸海空軍の再編を推し進めていた中心人物。急速に進んでいた米軍再編にも、何らかの反作用が出てくるのだろうか。

経済については何か影響があるのか。そもそも、人々の消費の行動傾向というものは、そう簡単には変えられないという。米国人の貯蓄しないでがんがん消費する傾向は、こんな選挙結果ぐらいでは、変化するようには思えない。翻って、景気は好くなっているという我が国だが、消費は今ひとつと言われ続ける。若い女性は、結構消費意欲が旺盛そうだし、団塊Jrだって健闘していると言われるが、実態はどうなのだろうか。結局いつの時代も、日本人は真面目で悲観論に傾きやすいのが多数派ということで、動き出すまでかなり慎重と言うことなのだろうか。全体の空気のようなものが高度成長期やBubble時代とまでは行かないまでも、もう少しお祭り気分にならないと本格的に動き出さないということかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メモリー増設

米国中間選挙は、日本時間の昼過ぎ時点で、下院における民主党の過半数確保が伝えられた。これは織り込み済みか。昨日7日のNY Dow12,156.77(+51.22)、SP5001,382.84(+3.06)、 NASDAQ2,375.88(+9.93)。

Memory増設、大分判ってきた。しかし、改めてPCの仕様が複雑なことを思い知った。PCの主要部品の一つを取ってもこの始末である。せめて、Desk Top、Noteの別で、各2種類ぐらい、合計で4種類くらいにならないものか。やはり日進月歩のこの世界は、新技術が次々導入されて、それは無理なのだろうな。挑戦する楽しさはあるが、素人には敷居がまだ少し高いようです、PCと言うものは。

http://www.atmarkit.co.jp/fpc/pcmainterepair/pcmr003/pcmr003_03.html

http://www15.ocn.ne.jp/~dolphin1/e_information/No24_Memory_Bank/Memory_Bank.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メモリー増設

2002年の初頭なので、もう5年近くも経ったDesk Topを使用している。PC専門店の自社Brandで、仕様は、Intel Pentium4  1.8GHz、SDRAM 256MB PC133、60GB HDD(7200rpm)、OSはXP Homeである。買った当時は、しばらく使えるように余力のある製品と思っていたのだが、最近のVirus Softを導入した去年あたりから、めっきり速度が落ちた感じである。Deflagを定期的にやっても、大して効果がないので、やはり、Memoryを増やすしかないのかなと思い、重い腰を上げることにした。下記のIO Dataの解説従って、Task Managerで調べてみたが、やはり若干のMemory不足の数字が出たので、間違いないだろう。

しかし、昔昔、Note PCの説明書に書いてある通りに、買って来たMemoryを取り付けた事があるだけで、Desk Topの背中を開けたこともない。大変不安で、買った店に丸ごと頼んでしまおうかとも思ったが、取り敢えずInternetで調べて挑戦してみるかと言う状況。判ったことは、同じDesk TopのMemoryでも4種類くらいの異なった仕様があること。これらは、おそらくMother Boardによって決まってきてしまうのだろうから、思いつきで最新のものを買ってきても5年も前のPCでは、機能しないと言うことでもあるのだろう。そもそも、単純に増設すれば、速くなるのか? 何MBのMemoryを何台増設できるのか? そのあたりからして判らないので、購入した店に確認することから始めなければ埒が明かないみたいだ。

http://www.dtsystems.net/Web-project-A/PC100bai/memory2.htm

http://www.iodata.jp/promo/memory/hayawakari/mame.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

単位履修漏れのこと

高校の履修漏れ問題、弱小文部科学省の力不足が幸いしているのか、全国的な広がりを見せること、燎原の火の如しである。受験に専念したいこの時期、受験生には気の毒なことになった。

以前から感じていたこと。どうも、日本人の武士道的な正義と英米人のFairと言うのには、よく似ているのだが、微妙な違いがあるのではないかということ。それは端的には、Sportsの世界に散見される。

例を挙げると、1984年のLA Olympic柔道で山下泰裕選手は右足を負傷した。このときの決勝戦であたった相手の選手が山下の負傷した足を狙わず、Fair Playの精神を称えられた、という。これは、種目が柔道だったからなのか、非常に日本的な匂いがする。同じようなことは、2001年貴乃花対武蔵丸の優勝決定戦を半月板負傷の大怪我を負いながらも貴乃花が勝って、引退前最後の優勝を飾った時にも起こった。

他方、英米のFair Playだが、例えば、2003年のRugby World Cup、この大会でJonny Wilkinsonという天才キッカーを擁した英国は、彼の力を120%活用する作戦を多用した。相手陣内で楕円球を奪取すると、Jonnyに回し、Forwardは彼を囲むように守備を行い、この隙にJonnyがDrop Goalを決めると言う戦法で、英国は決勝戦でも豪州Wallabysを破って、Cupを初めて北半球に持ち帰るのに成功した。また、2002年のWorld Cupで、英国対Argentineの因縁試合において先取点を取った英国の見苦しいほどの徹底守り作戦が見られた。

どうも、これらの英国の戦い方から推測されることは、Fair PlayとはRuleを守ることがその神髄であって、精神的に体裁が悪いと言う要素はあまり重要視されていない、ということである。反面、Rule違反には、異様に厳しく、かつて、Golfのジャンボ尾崎が、Woodを打つ前に癖で地面を叩いたり押さえたりする行為がライの変更に当たると言うことで、Greg Normanにかみつかれたこともあった。だから、もし、柔道の試合で、あのエジプト人選手が、山下の負傷した右足を狙って勝っていたとしても、日本人からあいつは武道家の精神に反する卑怯な奴だと密かに思われたかもしれないが、英米人からFair Playに反する奴とは思われることは無いのであろう。

ということで、今回の履修漏れ問題は、子供に教育を授ける教師および教育委員会が、ぐるになってRule違反をやっていたようなものだから、正義にもFair Playにも反するのだが、その後始末において、どうも日本は、あまり事を荒立てても何だから、と言う感じの救済策が出てきそうな様相になってきた。Rule違反に関しては、絶対に許さないという英米流だと、どのように処理されるのか、ちょっと見てみたい気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

iPodを買いに行く

週末、iPodを買いに秋葉原に行ってきました。

まず、iPod。手持ちのCDを30Gのものにぶち込んでしまい、Shuffleしたりして、とにかくお手軽に聞けるような仕組みを作ろうというのが目的で、だったらやはりiPodかなと思い、この半年ほど、PCにはiTunesを入れて、少しずつ手持ちCDをiTunesに溜め込んでいたわけです。iPodも相変わらずの人気のようですが、昨年末あたりの熱狂も一息ついたところで、重い腰を上げました。

Hard Diskに音楽を入れて持ち歩くという発想は、随分前からあったようで、iPodが出るより5年以上も前だったと思います。知人が趣味のスポーツで大怪我をした時、入院中や退院後の通院中に時間が空いているのでこれを聞いていたんですよ、と見せてくれたのが、Hard Disk型Audio Playerだったと思います。当時、私自身の感想は、そんなにたくさん曲をぶち込んでもいつどうやって聴くんだよ、というような感じでしたが。

そんなこともあって、AppleのiPodも、その程度のものだろうと発売当初は高をくくっていたのです。しかし、今回買ってみて、改めてその良さを実感しました。第一に、思ったより小型で細身、持ち歩くのが全く苦にならない大きさ。これで30Gは驚きです。Hard Diskなので丈夫で長持ちを祈るばかりですが。第二に、音楽を聴く等の目的が明快て、余計な機能がついておらず、操作が非常に簡単。かつ、14時間と思ったより、作動時間が長い。そして第三に、iTunesとつなげることで、音楽の更新、購入などが簡単にできる。要は、Podcastもそうですが、PC(iTunes)経由Netとつながっていて、その可能性が大きく広がっている、と言うようなことでしょうか。反面、PCを使いこなさないと使えないと言うのが欠点と言えば欠点か? その点を突いてきているのが、松下のAudio Playerの戦略であり、今回のAppleの戦略に根こそぎやられたSonyの最近の商品もどうもそのようです。とにかく、Sonyのこの分野での敗戦色は、濃厚で深刻だと思います。一時当たったかに見えたMD戦略は、iPodの前に見る影もない状況ですし、iPodの二番煎じで出したHard Disk型やFlash Memory型もPC側の整備がiTuneに比べて見劣りがするのか、このところNewsにもならない。iTuneの邦楽のMenuにしても今ひとつの感は否めないが、iPodを使わないでWalkmanで行くと言うのは余程のSony Fanに限られるのだろう。Appleは、陳腐な発想に見えたHard Disk型の携帯Audio Playerを、より小型で洗練された商品にすることはもちろん、PCの機能と強力に結びつけることで全く新たな商品に仕立てることに成功した。これは、PCが安価で高機能になり、一人に一台の水準で普及してきたこと、Broad Bandの一般化など、この5年くらいのIT基盤の急速な進歩とも相まって、Walkmanが提案するよりもはるかに便利で可能性のある文化の提案になっていたことは明らかで、事後的に振り返れば、手を拱いていたSonyの敗北は火を見るより明らかだったことが分かる。

そして、秋葉原。中央通りの東側は、どんどん整備されていく。まだ、整備の途上なので、ちぐはぐな景色が散見されるのが、ちょっと面白いが、全体としては、小丸の内大手町界隈と言う風情になるのだろうか。中央通りには、Number Portability解禁とあって携帯の販売促進員たちが目立った。話題のSoftbankのCatalogueを一部もらってくる。Maid姿の若い女性も目につく。こういう世界は、始めは、西側に一本入った裏通りが本筋なのだろうが、もはや完全に市民権を得たようで、今や中央通りにも大勢いる。まあ、Halloweenも近いしな? これが、健全な文化なのかどうかはさておき、人を集め、雇用を提供する限り、市場が広がり、秋葉原をただの電気街に収めてはおかない、一要素にはなるのだろう。かくして、秋葉原は、膨張を続けている。今東東京では一番面白い町の一つなのは、間違いないだろう。

Region Code FreeのDVD Playerは、Duty Free Shopなどには必ずあるだろうと思ったが、中央通りでそれらしき店に聞いてみたが、意外と置いていなかった。まじめに探さないと見つかりそうもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いじめについて

ここ数週間豊田、鈴木などの自動車株が強いので、出遅れ気味の7201日産は、貸借倍率から見ても今週上昇、うまくすれば急騰かと思っていたら、下落。逆に、下落継続と思った9475昭文社はしっかり。相場観、はっきり言って悪いです。

ここのところ、いじめを苦にしたことによると見られる小学生や中学生の自殺があったと相次いで報告され、Mediaが大きく取り上げている。北海道の小学生の事例では、当初学校や教育委員会側が醜い保身に走っていたようで、Mediaからの非難の的になっているようだ。思春期前後の子供たちが、このようなことで自ら命を絶つのは、痛ましいことだ。何とか学校が修了するまで我慢して、もしくは、学校を逃げ出してでも、生きる選択ができなかったのか、もはや、そんなことは考え付かないくらいに追い込まれていたのでしょう。

Mediaが第一義的に追及している学校と教育委員会の責任はもちろん重大です。しかし、この人たちがいくら頭を下げて、二度とこういったことが起こらないようにする、と言ってもなにやら白々しい。Net上では、被害者をここまで追い込んだ張本人とその親を何故追及しないのだ、と言う意見をよく目にする。今朝読んでいた勝谷誠彦さんのBlog16日の記述では、だいたいMediaが「いじめ」という言葉で「恐喝・暴行・傷害」などの犯罪行為を言い換えるから良くないのだ。たとい学校内であっても、これらの犯罪行為が行われているならば、これは立派に警察の仕事なのだ、と言うようなことが述べられていた。もう十年も昔に出た本「変な人が書いた成功法則」で、斎藤一人さんも同じことを書いておられる。同感です。今時のいじめは、相当に陰湿なもので、犯人が特定しにくいとか、具体的に当てはめるとなると、それなりに想定できない技術的な問題が生じるのかもしれません。しかし、いじめにあった子供やその親は、学校や教師にではなく、刑事事件ならば警察に相談すべし、民事賠償に相当するならば弁護士に相談すべしと言うのが傾聴に値するほど、もはや事態は深刻なのでしょう。自殺者が相次いでいると言う事態は、そういうことで、これ以上被害者が出る前に取敢えず加害者に手錠をかけることなのだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)